「一つのことを見れば、他のすべてのことが推測できる」(故事ことわざ辞典より)
人というのは「世の中は何でも白黒はっきりできるほど単純じゃない」と言われても、
今度は「グレー」という別の単色に、別の単純な観念に飛び付きたがるものでしょう。
玉虫色のこの世界を、単色で形容できたらむしろおかしい
『一事が万事』とは言いますが、世界ってそんな単純ではないんですよね。
物事というのは状況によって相反する側面を平然と併せ持ち(毒薬変じて薬となる)
しかも、時間の経過と共に常に変化するものですから(万物流転)
ただ1つの側面や瞬間から全体を形容するのは困難でしょう(握れば拳開けば掌)
しかし一方で、人は多かれ少なかれ“わかったつもり”になりたがるものです。
そしてそのために「あいつはこういうやつだから」「あれはこういうものだから」と、
実際には曖昧で複雑な物事を、1つの側面で単純化したがる傾向があるものです。
そうして何か事が起きれば、
「ほらね?だから言ったでしょ?」と、あたかも眼前の一事が万事であるかのように、
眼前の現実を、自身の持論に都合良く解釈したがる
それが人というものでしょう。
それこそ例えば、真逆の持論を展開する2人が同じ事象を観測したにも関わらず、
共に「ほらね?私の意見の方が正しいやろ?」と自分に都合良く解釈し、
無意識のうちに漱石枕流している光景も、昨今そう珍しいものではないと思います。
私達の思考は論理よりも感情や結論が先行しがちで(坊主憎けりゃ袈裟まで憎い)
赤色の色眼鏡を掛けた人には世界の全ての事象が赤く見えてしまうものなのですから、
持論に万能性を感じたら、それは現実の観測が正確に行えていない証拠であると、
多少卑屈気味に自戒するくらいで丁度良い…のかもしれません。
因みに、世界を認識する手段として単純化モデルを用いることは悪くないと思います。
実際、このサイトだって『麻雀』という世界の単純化モデルに言及しておりますし。
ただし、それはあくまで認識のための補助ツールであることを忘れてはなりません。
例え真理が存在しても、それは言葉にした瞬間真理たりえなくなるもので(色即是空)
情報劣化の産物であるそれは、世界そのものとは程遠いものですから。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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持論に都合の良い個人を抽出して、全体を形容しようとはしていないか