「憎むあまり、それに関わるすべてのものが憎くなること」(故事ことわざ辞典より)
他者に何か原因があるから、他者が憎いとは限らない。
他者が憎いからこそ、憎む原因ばかりを探し求め、それを創り上げていることもある。
批判すること自体が批判の目的と化してはいないか
「あいつはイヤなやつ“だけど”実力はホンモノだ。信頼できる。」
対立はしているけれど互いに実力を認め合っている、そんな良きライバル関係。
漫画の世界などではしばしば見かける構図ですが、人間、現実には
「あいつはイヤなやつ“だから”実力を認めたくないし、信頼もできない。」
などと思ってしまうことの方が多いのではないでしょうか。
というのも、価値や評価というのは本質的なものではなく(色即是空)
その背景や切り取り方次第で如何様にも評価できますから(毒薬変じて薬となる)
先に感情という名の結論ありきで、評価が後付けされる(石に漱ぎ流れに枕す)
なんてことも、そう珍しい話ではないと思います。
例えば恋愛でよくある、好きなときは相手の全てが好きなのに、嫌いになった途端、
相手の嫌いな面ばかりが目に入るようになる話などは、その最たる例かもしれません。
いずれにせよ、真に有益な情報は当人にとって耳が痛いものですし(忠言耳に逆らう)
他者を批判すること自体は決して悪いことだとは思いません。しかし、
欠点がないことすらも「人間味に欠ける」とか「面白みがない」と批判できるように、
他者に批判に値する点があることは当然のことであって
批判点故に憎むのではなく、むしろ憎さ故に批判を創り上げてはいないか、
そうして他者を攻撃することが目的になってはいないか、自戒が必要かもしれません。
人の批評というのはえてして、論理よりも感情や結論が先行してしまうものですが、
そうなると視野は狭くなり、自分と異なる主張に不寛容になってしまいがちでしょう。
ですから他者の批評が客観的なものか、それとも盲目的なものなのかを見分けるなら、
「じゃあ、その(批評対象の)良い(or悪い)所はどんな所?」
と、その人の主張とは逆の側面について尋ねてみると良い…かもしれません。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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