2015-01-01から1年間の記事一覧

木を見て森を見ず - 木を見てそれが森だと思い込んでいないか -

「物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うこと」(故事ことわざ辞典より) どんな森林でも、探せば朽ちた木の1本や2本はあるでしょう。 朽ちた木を何本か見つけて「この森林は腐ってやがる…」などというのは筋違いです。

握れば拳開けば掌 - 拳を憎んで手を憎まず -

「たとえ同じ物でも気持ちや状況しだいで様々に変化する」(故事ことわざ辞典より) 同じ手であっても、握れば人を殴る拳になり、開けば人をなでて愛でる掌になる。 拳と掌、そのどちらも偽りではないが、どちらか一方のみでは手の全ては語れない。

毒薬変じて薬となる - その本質はどこにあるか -

「物は使い方によって毒にも薬にもなるというたとえ」(JLogosより) 「使用上の注意をよく読み、用法・用量を守って正しくお使い下さい」\ピンポン/ その薬が文字通り薬となるか、逆に毒となるかは、そうした条件があるものです。

尺度水準 - 具体性の乏しい情報に惑わされていないか -

「表現する情報の性質に基づき数学・統計学的に分類する基準」(cf.Wikipedia) こんなサイトで統計学の専門的な話に言及しても誰も得をしないと思うので、 あくまで『尺度水準』という漠然とした“ものの捉え方・考え方”についての話。

月とすっぽん - その共感に無知の知は伴っているか -

「二つのものの違いがあまりに大きすぎて比較にならない」(故事ことわざ辞典より) 実際に当事者として体験してみなければ、当時者の気持ちはわからないでしょう。 そして例え似た経験をしていると思っていても、それが本当に似ている保障などない。

遺伝的多様性 - 自分と他者は同じ人間でも、異なる個体である -

「ある一つの種の中での遺伝子の多様性」(cf.Wikipedia) 生物はその多様性を確保するため、常に新たな遺伝子を持つ個体を生み出しています。 ならば、常識から外れたイレギュラーな個体も、いない方がむしろ不自然でしょう。

大事の前の小事 - その行為の代償は何か -

(故事ことわざ辞典より)「大きな事を成しとげようとするときは… 1. 小さな事を軽んじてはならない。ちょっとした油断が大失敗を招く。 2. 小さな犠牲にはいちいち構っていられない」 3. …などという矛盾のたとえ

小異を捨てて大同に就く - 世界は自分を待ってはくれない -

互いに自らの誤りを認め、相手の正しさを尊重できる度量があることが前提条件ですが 不毛な議論を重ねるくらいなら、“議論をするために”ことを進めるのも一興でしょう。 小異を捨てて大同に就くとは 意味 小さな異見から離れて、大勢となっている同意見に従…

論より証拠 - 主観は議論の抵抗物である -

「口先で議論を重ねるよりも、証拠を出したほうが明確」(故事ことわざ辞典より) A「○○細胞を発見しました!この発見にはあんな苦労やこんな理想が…」 B「感動的だな。だが無意味だ。貴方の主観はいいから証拠を見せてくれ。」

無理が通れば道理が引っ込む - 無理は通さず、しかし正義に驕るな -

「俺が何をしようが、お前には関係ないやろ!」…とは限らないのでしょう。 無理が通れば道理が引っ込むとは 理に合わないことが世にはびこる時は、道理にかなった正しいことは行われなくなること。間違ったことが堂々と行なわれると、正しいことが行なわれな…

蟻の穴から堤の崩れ - 目先の行動の先にある崩壊は見えているか -

「わずかな油断や手違いで重大な物事が駄目になることのたとえ」(JLogosより) 別名『蟻の一穴』。規則やルールに厳格すぎて融通が利かないのは問題だと思います。 しかし同時に、それを破ること、特例や前例を作ることの重みを侮ってはなりません。

塵も積もれば山となる - 目先の行動の先にある山は見えているか -

「小事をおろそかにしてはならないという戒め」(故事ことわざ辞典より) 人間、目先の塵を見つめ、観察するのは得意でしょう。 しかし、その塵が積もり、山となった姿を想像することは意外と難しいものです。

PDCAサイクル - 行動のために計画し、計画のために行動する -

いくら企画段階でニーズがあっても、完成した頃にニーズがなくなっていては無意味。 PDCAサイクルとは Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(見直し)という政策サイクル。 P段階での代替案の検討と評価を行った上で、このサイクルを回す必要があ…

言うは易く行うは難し - 問題に直面しなければ盲点は見えない -

「口で言うのは簡単だがそれを実行するのは大変難しい」(故事ことわざ辞典より) 人は現実世界を基に創り上げた架空の世界で生きている(コペルニクス的転回) ならば、その世界で考えついたことが現実世界に即していなくとも、むしろ当然。

鶏口となるも牛後となるなかれ - 眼前の選択肢は把握できているか -

「小さな集団であっても長となるほうがよい」(故事ことわざ辞典より) それが大きい集団であればあるほど、その長がどんな人間なのかの見極めは困難です。 しかし、自分や家族の命運を握っているのは、他ならぬその長なんですよね。

寄らば大樹の陰 - 数に惑わされず、内側まで見通せているか -

「頼るのなら、勢力のある者のほうが安心でき利益もある」(故事ことわざ辞典より) 自分がどんな集団に属し、頼るかは、時に死活問題ともなる重要なことですから、 実際、寄るなら大樹の方が良いでしょう。ただし、それが本当に大樹であるならば。

猿の尻笑い - 責められたくないが故に他者を責めていないか -

「自分の欠点には気づかずに、他人の欠点をあざ笑うこと」(故事ことわざ辞典より) 自分の尻も赤い猿が、他の猿の尻の赤さを笑う。無知な人間が、他者の無知を嘲笑う。 それは、自分のことに気付けていないせいか、それとも、自分のことは隠すためか。

和を以て貴しとなす - 悪意のない敵まで作り上げていないか -

「みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良い」(故事ことわざ辞典より) 皆さんご存知、聖徳太子(が制定した十七条憲法)の言葉。 「仲良くする」とはつまり、「皆で共有できる利益を模索する」ということでしょう。

囚人のジレンマ - 利益のために利益を捨てられるか -

正直者が馬鹿を見る。しかし、皆が正直者でなくなったら、皆が馬鹿を見る。 囚人のジレンマとは ゲーム理論の用語。 個人に二つの選択肢(協力/非協力)が与えられた、二人の人間が遭遇するジレンマ。 個人にとっては、(自己の利益の最大化という個人にとっ…

社会的手抜き - 物理的な作業量のみで世界を評価していないか -

「1人当たりの課題遂行量が人数の増加に伴って低下する現象」(cf.Wikipedia) 別名『リンゲルマン効果』など。自分の行為と結果の因果関係が見えにくいと、 怠惰に繋がるだけでなく、身体の制御感覚が狂わされてしまう側面もあると思います。

鹿を指して馬と為す - 他者に与えられた答えを鵜呑みにしていないか -

「理屈に合わないことを権力によって無理に押し通すこと」(故事ことわざ辞典より) 自分と他者が同じ対象を観測し、互いに異なる観測結果を得た際、 自身の無知を疑う姿勢は大切でしょう。しかし、疑うことと否定することは違います。

千慮の一失 - 賢さは盲信していい理由にはなり得ない -

「どんなに賢い人でも一つくらい間違いや思い違いがある」(故事ことわざ辞典より) 専門家の見識は侮ってはならず、謙虚に、尊重せねばならないでしょう。 しかし同時に「専門家とて人の子である」ことも忘れてはならないと思います。

株を守りて兎を待つ - 専門家は革新を嫌う -

「古い習慣や過去に偶然成功した経験にこだわること」(故事ことわざ辞典より) 一度山の頂まで登り詰めた人間は、その居場所に固執し、環境の変化に柔軟に在れず、 新たにより高い頂が現れても、それを目指したがらない傾向があると思います。

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや - 自分と他者、燕雀なのはどちらか -

「小人物には、大人物の考えや大きな志などがわからない」(故事ことわざ辞典より) この言葉、自分と他者のどちらが燕雀(小人物)でどちらが鴻鵠(大人物)なのか、 その捉え方によって意味合いが大きく変わってくると思います。

人間万事塞翁が馬 - 目先の幸不幸にとらわれていないか -

伏線には計画的に張るものと“結果的に伏線と化すもの”の二種類があると思います。 人間万事塞翁が馬とは 故事成語の1つ。「人間の吉凶や禍福は予想ができない」ことを例えた言葉である。中国の前漢の武帝の頃に書かれた「淮南子」を典拠とする言葉。昔、中国…

計画的偶発性理論 - 計画的な偶然を求めて想定の外の世界へ -

「偶然を計画的に設計し、自分のキャリアを良いものに」(cf.Wikipedia) 「今回は運が悪かった、巡って来なかった」それは時に事実かもしれませんが、 この台詞を言っていいのは、きちんと相応の行動をした人間だけだと思います。

好機逸すべからず - 運を“つかみ取る”のも実力のうち -

「よい機会は逃してはならないということ」(故事ことわざ辞典より) 「今回は運が悪かった、巡って来なかった」それは時に事実かもしれませんが、 この台詞を言っていいのは、十分な努力と準備をした人間だけだと思います。

麻雀 - 確率論で構成される世界 -

『麻雀』というゲームは、世界の単純化モデルとして非常に優れていると思います。 麻雀とは マージャン 【麻雀】 〔中国語〕中国起源の室内遊戯。牌(パイ)を用い、普通、四人で行う。牌は直方体で、数牌三種の一〜九までと、字牌の三元(白板(パイパン)…

環世界 - 自分の世界基準で他者を捉えていないか -

「すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きている」(cf.Wikipedia) ヤーコプ・ヨハン・フォン・ユクスキュルが『生物から見た世界』で提唱した概念。 動物は皆客観的な世界ではなく、主観的に創り上げた『環世界』で生きている。

主成分分析 - 認識は少なからず情報劣化の産物である -

「(前略)に変換するための数学的な手続きのことである」(cf. Wikipedia) こんなサイトで難解な数学の専門知識に厳密な言及しても誰も得しないと思うので、 あくまで『主成分分析』という漠然とした“ものの捉え方・考え方”についての話。