「小さな集団であっても長となるほうがよい」(故事ことわざ辞典より)
それが大きい集団であればあるほど、その長がどんな人間なのかの見極めは困難です。
しかし、自分や家族の命運を握っているのは、他ならぬその長なんですよね。
その操縦士は、その船は本当に信頼に足るのか
『宇宙船地球号』というと少々オーバーになるかもしれませんが、
運命共同体という意図があってか、人の集団や組織はしばしば乗り物に例えられます。
実際、「国や企業は自分の財産や家族の命運を乗せた船である」というのは、
例え自分に落ち度がなくとも、国や企業という名の船が沈没すれば、自分諸共も沈む
という意味においては、なかなか言い得て妙ではないでしょうか。
そして、そんなある種の“もらい事故”のようなリスクとの向き合い方について、
なに?政治や企業が悪いせいで、落ち度のない自分まで不利益を被るのは嫌?
それは無理矢理、誰かの操縦する船に乗せてもらおうとするからだよ
逆に考えるんだ「自分で操縦しちゃってもいいさ」と考えるんだ
つまり、例えそれが小さな船でもいいから、
ハンドル(舵輪)という名の命運は自分で握った方がいい
という考え方をしたのが『鶏口となるも牛後となるなかれ』です。
企業に不満があるなら自分で起業すればいい。資本がないなら投資を募ればいい。
こんな国で起業するのは不安だというなら政治家になって国を変えればいい。
勿論、人には向き不向きがありますから、そのどちらを選ぶかは人それぞれですが、
「安全そうな船に乗せてもらう」以外に「自分で船を操縦する」選択肢もあるのだと、
そうした複数の選択肢があるのだという認識を持つことは大切だと思います。
「文句があるならお前が起業・立候補しろよ」なんて台詞がありますが、
その是非はともかく、「誰かの船に乗せてもらう」という選択の末に今がある
という背景は踏まえておくべきでしょう。民主主義国家故、起業や立候補は自由ですし
また、乗客と操縦士では、そこからの光景は随分違うという認識も大切だと思います。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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より安全そうな船に乗せてもらう戦略も間違いではない。その船が本当に安全なら。
立場や目線が異なれば、世界の様相も異なる。観測結果を絶対視してはならない。