大事の前の小事 - その行為の代償は何か -
(故事ことわざ辞典より)「大きな事を成しとげようとするときは…
1. 小さな事を軽んじてはならない。ちょっとした油断が大失敗を招く。
2. 小さな犠牲にはいちいち構っていられない」 3. …などという矛盾のたとえ
眼前の小事を適切に認識できているか
人間、何かを得るということは、同時に何かを失うことだと思います。
何かができるようになるということは、それができなかった頃の気持ちから遠ざかり、
それができることの素晴らしさの実感が難しくなることでしょう(魚の目に水見えず)
また、少々極端ではありますが、生まれたままの天真爛漫な状態を自然とするなら、
精神的に成長することはつまり、どこかが壊れ、何かが狂っていくことなのでしょう。
「こんな辛い経験も、滅多にない得難い経験ができたって喜ぶべきなんだよね。」
「私はまだ幸せな方よ、こうして生きているんだから。」←これ、成長?狂気?
だから何か大きいことを成そうとするなら、成長しようとするなら、
いちいち小さな代償を、何かを失うことを恐れてはいけないのだと思います。…が、
代償を恐れないことと、把握していないことは違います。
何かを成し遂げるために、知らず知らずのうちに成長の代償として失っていたものが、
後の成長の妨げや、大きな失敗の原因として顕在化するなんてよくある話でしょう。
成長や成功など、どんなポジティブな事象にも代償はつきものです。しかし、
それに気付かず自分の道を猛進することは、自分の正義を妄信することに等しい訳で、
大事の前には小事を恐れず、しかし無視もせず、その塩梅が大切なのだと思います。
ちなみに、こうした代償の中でも最も基本的にして、意外と盲点になりがちなのが、
「何もしない」という行為も含めた全ての行為に伴う「時間」という代償で、
私達は有する時間も、長期的には体力も有限である以上、
新たに「何かを始める」ためには、同時に「何かを止める」必要があります。
「何を止めるのか」が不明確なまま、現状打開のために次々行動を起こしていると、
気付けば肝心要の本業に割ける時間が大きく犠牲となり、状況はむしろ悪化していた
…というのもよくある話ですから、限られた時間という代償の存在を意識し、
何かを始める際は、そのために何を代償にするのかを明確化することも大切でしょう。
今ここからの光景は、こんな感じ。
関連記事
可能性や好機は常に眼前にいてくれず、一度逃せば次の保障はない
成長の過程で、当初の目的まで見失ってしまってはいないか