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石に漱ぎ流れに枕す - 相手の理屈を論破しても意味はない -

「無理にこじつけて、自分の説を通そうとすること」(故事ことわざ辞典より)

 

人は多くの場合、論理の先に結論があるのではなく、

結論ありきで理屈を後付けしているのだと思います。

 

論理と結論は必ずしも合致しない

 

A「俺、俗世から離れた生活してて、石で口洗って川の水を枕にしてるんだ(ドヤァ」

B「いやw川の水で口洗って、石を枕にしてるんだろww逆だろww言い間違え乙www」

A「ち、ちげーし!石で歯磨いて、川の水で耳洗ってるんだよ!間違いじゃねーし!」

 

…とまぁ、“流石”にここまで露骨なケースは稀にしても、

自分に都合の良い結論に結びつけるために理屈をこじつける

という経験をしたことは、誰しも多かれ少なかれあるんじゃないでしょうか。

 

人間の認識はアテにならないから、感情や直観で結論を決めても、

それに都合の良い理由なんていくらでも後付けできてしまう。

なまじ説得力のある理屈が後付けで伴ってしまうせいで自覚がない

というケースもあるかもしれません。

 

いずれにせよ、

結論を支える真の骨組みは感情や直観など、言葉にしにくい部分であり、

理屈や論理はそれを隠し、補強するための装飾でしかない

というケースも決して少なくないと思います。

特にそれがその人にとって重要な、こだわりの強い話題であれば尚更。

 

 

強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ

 なんて言葉がありますが、それを議論について言うなれば

正しい方が勝つのではない、勝った者の論理思考能力の方が高いだけだ

 といったところでしょうか。

 

 つまり多くの場合、相手の論理を論破しても無駄なのだと思います。

それは後付けの枝葉末節なのだから、それを崩されても本人は納得しません。

人を動かしたいなら、結論を支える真の骨組みたる心に語りかけねばなりません

 『至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり』(Web漢文体系より)

という言葉には、そんな背景もあるのではないでしょうか。

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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