「この世にあるすべてのものは、常に移り変わる」(故事ことわざ辞典より)
このサイトにて散々言及されている「“わかったつもり”にしかなれない」という言葉、
これは戒めの言葉でこそあれど、決して諦めの言葉ではないと思います。
かつて正しかったその情報は今尚正しいか
経験なくして何かを理解することなどできず(知行合一)
同じ世界にいながらにして、人の数だけ異なる世界を認識しており(環世界)
何事にも度合いというものがあり、単純な二者択一では語れず(尺度水準)
良し悪しは紙一重で、条件や背景次第でどちらにも変わり(毒薬変じて薬となる)
人間が観測できるのは、認識対象の極々一部の断片でしかなく(色即是空)
そうした断片的な情報から認識対象全体を語るのは難しい(木を見て森を見ず)
軽く並べただけでも、上記のような数々のハードルがあるように、
何か・誰かを本当の意味で理解することは、凄く難しいことだと思います。
しかも、もしこれらの問題を打破して100%の理解に至れたとしても、
その先には最後の砦が待ち構えています。それこそが『万物流転』、すなわち
今日の何かを理解できても、明日になれば変わっている
という、あらゆるものが時間の経過と共に変化してしまう問題です。
それは自然や社会、人は勿論、一見不変的に思える過去ですらも例外ではなく、
観測者の心が変わればその価値や認識は変わるでしょう(コペルニクス的転回)
人の脳は過去のパターンを流用して、眼前の認識を極力サボろうとするそうですが、
極端な話、昨日まで正しかった情報が明日以降も正しい保障などなく、
過去の正解という幻影にとらわれ認識を誤っていないか戒める必要があると思います。
ヘラクレイトス「誰も同じ川に二度入ることはできない」
『記述式の難問でまず間違いなく満点は取れず、しかも模範解答が常に変化するため、
常に勉強し続けて変化に対応しないと、あっという間に成績が下がってしまう試験』
何かを本当の意味で理解することは、そんな試験で満点を取るようなものでしょう。
しかし、満点が取れない試験なら0点でも許されるかといえば、それはまた別の話。
観測対象は常に変化するため、どんなに深く理解できても理解に終わりはないものの、
そうであるからこそ、理解し続けようとする姿勢が大切なのではないでしょうか。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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