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色即是空 - 真理は認識できるか -

「この世の全ての本質は空(実体がなく空虚)である」は過言かもしれません。が、

色即是空とは

認識や言葉の持つ情報量は如何程か

 

言い方や解釈の問題ではあるんだけど「全ての本質は空」…って言ったってほら、

例えばそこらに転がる石ころダイヤモンドは明らかに違うやん?

だってダイヤモンドは天然では最も硬い物質でしょ?(理系脳

だから事象や現象自体は確かにそこに存在する。差異も特徴もある。しかし一方で、

 

人間が観測できるのはその極々小さな断片でしかなく
 

観測結果である認識がその本質と程遠いなら、それはもはや空に等しいでしょう。

 

言葉の持つ情報量は、認識する世界と比べ圧倒的に少ない(百聞は一見に如かず

と思いますが、それは人間の認識についてもまた然り。

人間の認識できる情報量は、認識対象と比べ圧倒的に少ないのだと思います。

 

人間の認識というのは言うなれば、たった1枚の写真であり(主成分分析

例え同じものを撮影(認識)しても、その距離や角度、時期などが異なれば

その様相はガラリ変わり、時には正反対の姿形にすらなります

A「月は丸く輝いててウサギが餅をついているんだよ!これは月の写真じゃないね!」

B「それ、月の裏側の写真です。あと、丸く輝いて見えるのは満月限定です。」
 

だから多分、仮に真理というものが存在しても、人は真理を認識できない。

写真を撮って認識しようとした瞬間、少なくとも人に伝えようと言葉にした瞬間、

致命的な情報劣化が発生し、真理は真理たりえなくなってしまうと思うのです。

 

 

ダイヤモンドの「天然では最も硬い物質」という特徴は実在する事実だと思います。

しかし「硬いこと」と「価値があること」は本質的には別次元の話であり、

人間がそこから後付けし、見出した認識・価値は極めて断片的で一時的なものです。

 

それは切り口や背景次第でいくらでも姿形が変わる、心の創り上げた幻想であり、

そうした幻想を過信しとらわれた挙げ句、うつ病などに陥ってしまうことだってある。

それならいっそ自身の認識を戒めるため、物事には意味や価値なんてないと、

「この世の全ての本質は、実体がなく空虚である」と言い切ってしまった方が良く、

そういう意味において、『色即是空』は実に的確な表現なのかもしれません。

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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そこに存在する差異は、差異ではあっても本質的な優劣ではない


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