君子は豹変す - 眼前の相手は君子か、ただの気分屋か -
「立派な人物は、過ちに気づけば即座にそれを改める」(故事ことわざ辞典より)
信じることが目的と化し、宗教化したが故に、考えを改められない人もいるでしょう。
逆に、大人物であるが故に、素直に自らの過ちを認め,改められる人もいるでしょう。
自身の世界に執着し、閉じ籠り、変化や盲点を見落としていないか
「この仕事は後回しにすると約束したな、あれは嘘だ。」
会う度に言うことがコロコロ変わる人っていますよね。
『朝令暮改』なんて故事成語もあるように、そういう人は「一貫性がない」だとか、
「自分の考えが確立されていない」などと批判の対象となりがちですし、
実際問題として上司がそんな人だと、それに振り回される周囲は大変でしょう。
しかし、ではそういう人が無能かといえば、必ずしもそうとは限らないと思います。
何故なら、例え私達は変わらずとも、私達の周囲の世界は変わるからです(万物流転)
そして、物事の有用性は世界という名の背景に依存している以上(顰みに倣う)
常により正しく在ろうと、より最適解で在ろうとするならば、世界の変化に合わせて、
持論も常に流動的に変えなければならないからです。
故に、真に正しくブレない人間でいるためには、その人は君子ではなく、
風が吹けば桶屋が儲かるような、論理演算では到底予測不可能な将来すらも見通せる、
そんな未来予知能力者でなければなりません。
まして、人の思考は盲点が存在しない世界の産物である以上(言う易く行うは難し)
人の思考や思想というのはえてして不完全で、むしろ変わって当然の代物ですから、
考えがブレないのは、改めるべき所を改められていない証であると(負けるが勝ち)
変わることより、変わらないことの方が批判の対象となるべき…かもしれません。
とはいえ、ならば『朝令暮改』な人が君子かと問われれば、それはまた別の話。
単に考えが足りなかったり、気分屋であるが故にブレる人もいるでしょうし、
逆に、予測が困難とはいえ、所詮世界は確率論で回っている訳ですから(麻雀)
偶然にも過去の未来予測が的中したが故に、ブレずに済んでいる人もいるでしょう。
戒めるべきは安易に相手のことを“わかったつもり”になることであり(月とスッポン)
そうやって安易に相手への理解の努力を止めてしまうことなのだと思います。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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