下手の考え休むに似たり - 他者に使われず、他者を使えているか -

「下手な者の長考は、時間を浪費するだけで、なんの効果もない」(コトバンクより)

 

馬鹿”とは本来頭が悪いことではなく、他者の言うことを妄信することでしょう。

しかし、他者の意見を妄信しないことと排他的になってしまうことはまた別の話です。

 

非効率に時間を浪費し、頭を使って努力した気になってはいないか

 

指導者「お、それもう詰ませられるじゃん、やるねぇ!」

素人「え…これってそうなの?一体どこにどう打ったら詰ませられるんだ…」

 

思考停止をせず、常に自分の頭で考ようとするのは、大切なことだと思います。

しかし、囲碁や将棋などでは素人がどれだけ時間を費やして考えたところで、

プロがわずか数秒で考えた手にすら遠く及ばないこともあるように、

他者の経験や先人の知恵に謙虚であるのも大切なことでしょう(温故知新

 

勿論、専門家だってわからないこと・間違えることはありますし(千慮の一失

むしろ専門家“だからこそ”固定観念に固執して間違えてしまうこともあれば、

逆に素人“だからこそ”独創的な解答に辿り着けることだってあるとは思います。

 

しかし、何事にも例外やレアケースはあるもので、

そうしたレアケースと全体の傾向を混同しないことが大切であり(木を見て森を見ず

 

知識や経験が不十分な状態で延々と頭を悩ますのは非効率

 

となる場合が殆どですから、あえて専門家の意見よりも素人の自分を信じるのなら、

『下手の考え休むに似たり』となってしまうリスクを重々承知の上で、

後になって「なぜオレはあんなムダな時間を…」と後悔しない覚悟が大切でしょう。

 

 

人間には『守破離』のような学びの段階とでも言うべきものがあり、

その段階に応じて望ましい在り方や考え方は異なるものだと思います。

 

例えば、決まりきった対応しかしない「マニュアル人間」というのは本来、

既に自分の頭で考え、マニュアルや教えをあえて破るべき段階に至っているのに、

いつまでも現状に甘え、マニュアルという他者を盲信する人間を指すのであって、

まだ右も左もわからない新人に「マニュアルを使うな」などというのは話が違います。

 

結局、専門家の意見もマニュアルも、要はそうした使い手と使い方次第なのでしょう。

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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