「どんなに賢い人でも一つくらい間違いや思い違いがある」(故事ことわざ辞典より)
専門家の見識は侮ってはならず、謙虚に、尊重せねばならないでしょう。
しかし同時に「専門家とて人の子である」ことも忘れてはならないと思います。
専門家は絶対に間違った主張をしないから専門家なのではない
下手すりゃ中高校生でも解けるような数学の確率の問題なのに、
1000人近い博士号保持者(専門家)らが間違えてしまい大論争となった。
そんな珍事を引き起こした『モンティ・ホール問題』という数学の問題があります。
問題の詳細に興味がある方はリンク先(Wikipedia)からご確認ください
勿論、いくら中高生でも解けるとはいっても、専門家が間違えるだけあって、
シンプルながら盲点をついた難問であることは間違いないのですが、
博士号を持つ数学家(専門家)が1000人規模で盛大に間違えたという意味において
専門家の主張も必ずしも正しいとは限らない
という教訓を示す典型例ではないかと思います。
…が、実はこの話、決してレアケースという訳ではない…どころかむしろマシな方で、
かの有名な遺伝学の『メンデルの法則』や『大陸移動説』などに至っては、
発表者の死後になってやっとその正しさが認められたという有様です。
専門家がその分野の知識に長けていることは言うまでもないでしょう。
しかし、そうであるが故に、従来の常識や固定観念にむしろより強く固執してしまう
…そんな側面もあるのかもしれません(株を守りて兎を待つ)
また、専門家でもわからないことは多々あるからこそ、
日々研究が行われ、社会的に研究職が成立しているという背景も忘れてはなりません。
専門家は何でも知っているから専門家なのではないのです。
専門家「何でもは知らないわよ。知ってることだけ。」
無論、だからと言ってこれが専門家を見くびってもいい理由にはならないでしょう。
しかし、「見くびらないこと」と「絶対視すること」はまた別の話です。
無知を戒め、専門家に謙虚でありつつも盲信もしない、その塩梅が大切なのでしょう。
どんなに優れた人であっても、間違えることはあるのですから。だって人間だもの。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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