1. 守 : 例え「師の教えが間違っている」と思っても、師の教えを守る
2. 破 : 師の教えをある程度習得したら、今度はその教えを破る(他流派を学ぶなど)
3. 離 : 「1. 守」「2. 破」で学んだことを踏まえ、自己流へと離れて行く
最初から自己流を目指すのは効率が悪い
『焼きなまし法』の記事にて扱ったこの問題。
上の図のような状況で、足下しか見えないド近眼の人が
最も高い山の頂(C地点)へと辿り着き定住するためには、どんな戦略で動けばいいか
という問題には、ちょっとした反則技のような解答があります。
それは「最も高い山の頂(C地点)を知っている人に場所を教えてもらうこと」です。
この際、例え妙な自信と共に教えに反発を感じても(ダニング=クルーガー効果)
「教えてもらったことに従う方が正しい確率が高い」と考え、教えを守りましょう。
しかし、ただ教えに従うだけでは、以下の3つの問題が残ります。
1. 言葉で教えてもらっても相手の意図は正確には伝わらない(百聞は一見に如かず)
2. 教えを本当に理解するためには比較対象が必要となる(魚の目に水見えず)
3. その人の背景によって山の地形(望ましい答え)も少なからず異なる(顰に倣う)
このため、教えてもらったことをある程度理解し、実行できるようになったら、
今度はその教えを破りましょう。異なる意見を学びましょう。
そうして視野を広げることにより、自己流(C地点)を見定め、教えから離れて行く。
というのが日本の茶道や武道の修行で用いられる『守破離』という学び方です。
最初は現状に文句を言わず、慣れたら現状に甘んじず、
そして最後に自己流の構築を目指す
『守破離』は言い換えるとこんな感じですが、人間、この真逆になりがちです。
新人の頃に反発し、慣れたら現状に甘んじて、最後には組織の一部と化す。
そう考えてみると、『守破離』から学べることって結構多いんじゃないかと思います。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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