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木を見て森を見ず - 木を見てそれが森だと思い込んでいないか -

無知の知 認識 個・集団

「物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うこと」(故事ことわざ辞典より)

 

どんな森林でも、探せば朽ちた木の1本や2本はあるでしょう。

朽ちた木を何本か見つけて「この森林は腐ってやがる…」などというのは筋違いです。

 

自分に都合の良い森を連想できる木を探していないか

 

どんなに働き者or怠け者ばかりを集めても、全員が働き者or怠け者の集団にはならず

必ず一部が働き者になり、大半は程々にしか働かず、残る一部は怠け者になる。

 

この際の「働き者:程々:怠け者」の比率は研究によって2:6:2や25:50:25のほか、

3:72:25など諸説ありますが、働き蟻や働き蜂の集団にはこうした習性があるとされ、

これを『働き蟻の法則』もしくは『働き蜂の法則』というそうです。

 

もっとも、働き者or怠け者といってもこれはあくまで観測者の主観によるもので、

実は怠け者と認識されている個体も何らかの隠れた役割を担って集団に貢献しており、

単に役割分担をしているだけ…という可能性も否定できません。

が、いずれにせよ同じ集団内であっても、そこに属する個人の能力や様相は様々で、

 

特定の個人の様相から集団全体の様相を推測するのは困難

 

という点は人においても同じでしょう。

加えて、その集団の代表として、象徴として認識に飛び込んでくる個人は殆どの場合、

その集団の大半を占める「程々」ではなく、少数の「働き者or怠け者」であり、

その集団の中でも特異な存在ほど露出しやすいという点は意識すべきだと思います。

 

まして、人は心の中で先に結論を決め、それから証拠や理屈を後付けしようとする

そんな傾向もありますから尚更、自分に都合の良い個人ばかりを取り上げて

その個人の属する集団全体を批評しようとしていないか、戒めるべきかもしれません。

特に学歴や民族性などは私情が入りやすく、その傾向が強い…かも。

 

 

A「この通信教育を受けても私は不合格だった!だからこんな通信教育は無意味だ!」

B「いや、それは貴方の主観だよね?もっと合格率とか数字に目を向けようよ。」

 

極少数の人間の経験を根拠に集団全体を“わかったつもり”に捉えてしまうというのは、

「自分はこうだったから皆もきっとそうだ」という自身の経験の拡大解釈についても

例外ではなく、それが少数派である可能性を常に自戒することが大切だと思います。

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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自分がどれだけ素晴らしい成功体験をしようとも、他者にもそれが通じるとは限らない


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