彼を知り己を知れば百戦殆うからず - 意外と難しい“当然” -
「敵と味方の実情を熟知していれば幾度戦っても負けない」(故事ことわざ辞典より)
何事においても、自分の長所を生かし、強みを打ち出そうとすることは基本でしょう。
ただし、相手がそれに価値を見出してくれるか、それが通用する相手なのかは別の話。
自他を同一視せず、独立的に考察できているか
手品師「凄い手品を思いついたぞ…!!技術と発想の結晶…最高傑作だ…!!」
(公演後)
観客A(手品師)「凄ぇぇええッ!!超絶技巧!世界観!タネも全然わからんッ!!」
観客B(一般人)「なんか色々複雑で… 正 直 よ く わ か ん な い」
仲間内や同業者からはウケが良かったのに、それ以外からは…なんてよくある話で、
自分にとって価値あるものが、相手にとってもそうであるとは限りません(遼東の豕)
人の好みや価値観,得意不得意,背景などが千差万別である以上、
自分の価値基準で良いと思うものばかり提示してもそう上手くは行かないもので、
相手の背景や価値観を踏まえた上で、提示内容を吟味することが大切でしょう。
ただし、自分本位にならぬよう、相手に合わせるのが大切だからといって、
相手の価値基準を意識するあまり、自身の短所で勝負してしまっても本末転倒です。
自分の価値観を押し付けず、しかし相手に迎合もせず
自分の手札を把握し、その長所と短所を理解し、その上で相手の価値観を考察し、
相手との相性を踏まえ、どのカードを提示するのが最善かを模索する、
そうした“自分”と“相手”の両輪を意識してやることが大切なのではないでしょうか。
…と、ここまで読んで「何を当たり前のことを」と思われた方も多いと思います。が、
例えば、自分と異なる他者の主張を「理解できない」や「間違ってる」などで片付け、
他者の世界に対する理解を怠ってしまう人は案外多いように(忠言耳に逆らう)
『彼を知り』『己を知る』ことを実践・両立するのは言葉以上に難しいものです。
えてして周囲の目を気にする人ほど、肝心の自分のことは疎かだったり、
逆に自身の考えに対する理解を深めている人ほど、他者のことは疎かだったり、
それは過小or過大評価かもしれないし、既に古い情報かもしれない訳で(万物流転)
自分が“知っているつもり”なことでこそ、『無知の知』の実践が問われるでしょう。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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