「忠告の言葉は耳が痛いから、素直に受け入れられにくい」(故事ことわざ辞典より)
「忠告が的確に自分の弱点をついている」という自覚が伴わず、無意識のみが反応し、
生じた「否定された不快感」を他者批判によって解消していることも多いと思います。
不快感のある意見にこそ、自分の価値観の盲点や弱点のヒントがある
人の知恵や知識は、主に3段階に分類できると思います。
1つ目は何も知らない状態。経験もなく、これから学び始める状態。
自分の意見もロクに持てていないため、基本的に他者の意見に対して素直で在れます。
2つ目は“わかったつもり”になった状態。自分なりの論理体系ができた状態。
ダニング=クルーガー効果で妙な自信に満ちあふれ、自分の意見を絶対視しがちです。
3つ目は『無知の知』を自覚した状態。不明な点があることを自覚した状態。
壁や矛盾と遭遇する度に至れますが、至るのは簡単でも維持するのが極めて難しい。
ここに至れたと思っても、気付いたときにはいつの間にか“わかったつもり”に(小生
さて、他者の意見を不快に感じることが多いのは“わかったつもり”になった状態です。
なぜならこの状態では「自分の考えが一番正しい 」(理屈と膏薬はどこへでもつく)
と多かれ少なかれ思いがちになりますから、物事の判断基準が
自分の意見と合うものは正しく、合わないものは間違いだ
という極めて自己中心的なものに陥ってしまいやすいのだと思います。
ゲーテ「人は自分の理解できないことを嘲笑するものだ」
ですから、何か気に食わない、間違っていると感じる意見に遭遇した際には、
「自分の考え方と合致しないから嫌なだけでは」と自戒するのが重要なのでしょう。
真心のこもった、自分に有益な言葉や忠告ほど、自分の耳には痛いものなのですから。
単なる一個人の小さな価値観を世界の普遍的な正しさと混同・錯覚し、
自分の理解できない、自分の考え方とは異なる人間のことを間違っていると否定する。
多分世界はそうやって、互いに互いを「自分の考えと違う」という理由で否定し合い、
論理でなく結論同士で殴り合う不毛な側面があるのだと思います。この記事も含めて。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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