『無知の知』という言葉ほど “わかったつもり” になりやすい言葉はないと思います。
- 無知であるということを知っているという時点で、相手より優れていると考えること。また同時に真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まるということ。哲学者ソクラテスの言葉、概念。概要 英語では「知らないということを知っている」.. 続きを読む
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自分の得意分野や専門分野でこそ“わかったつもり”に陥りやすい
「私馬鹿だしw 知らないことばっかりだよーw」
「政治?数学?難しくてよーわからんw」
自分の専門外のこと、よく知らないこと、それらについての無知の自覚
…そんなことは当たり前です。むしろ逆に知ってたら恐い(笑
そうではなくて、自分が得意げに話せること、専門分野のこと、
そうした「自分は知っている」と思っていることについて
自分はただ“わかったつもり”になっているだけで実は何もわかってはいない、
と常々自戒するのが『無知の知』だと考えています。
某物語風に言えば
「何でもは知らないわよ。知ってることだけ」はただの無知の自覚
「何でもは知らないわよ―何にも、知らない」こそが無知の知
『言うは易く行うは難し』とはよくいったもので、
『無知の知』は言葉上は非常にシンプルで、いくらでも“わかったつもり”になれます。
ところが何度“わかったつもり”になっても、ある時、ふとした経験、気付きから
「あれだけ得意げに口にしていたことを、自分は何もわかっていなかった…」
「『無知の知』を理解・実践できていなかった。また“わかったつもり”になっていた」
と何度も思い知らされる。
自身の生涯を終え、自分の観測できる世界の広がりが終わりを迎えるまで、
多分それまでは、いつまで経っても“わかったつもり”にしかなれない。
まして今はインターネットで検索すれば、誰でも簡単に真偽不明の情報が手に入り、
“わかったつもり”に陥った者同士が「わかってない」と揶揄し合う時代(猿の尻笑い)
それはこのサイトについても例外ではないので、自戒を込めてこう締めくくります。
“今ここからの光景”は、こんな感じ。
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