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猿の尻笑い - 責められたくないが故に他者を責めていないか -

「自分の欠点には気づかずに、他人の欠点をあざ笑うこと」(故事ことわざ辞典より)

 

ある瞬間、ある側面だけを切り取れば、正義と悪という構造は固定的かもしれません。

しかし、ならばその正義はなんら悪行をしていないかといえば…それはまた別の話。

 

不正を糾弾する人間が正しい保証などない

 

「戦争や犯罪はなぜ起こるのか」

 

その理由は多種多様で一概に言えるものではないと思いますが、

中でも比較的有名なものに「人間の欲深さ故に起こる」というものがあります。

…が、この説を耳にすることが多いのは、

 

「あいつらは自分達の利己的な欲望のために戦争をやりやがったんだッ!」

(だからそれに相対する自分達の戦争は正当防衛で、我々が正義なのだ!)

 

というプロパガンダに用いられやすいからではないでしょうか。

勿論、実際そうした欲深さ故の、ある種の不要な戦争や犯罪もあるとは思います。

 

しかし、こうした他者に焦点を当てた主張が展開されるときというのは、

大抵その裏に後ろめたさがあり、それを隠したいという意図が付随していがちです。

そもそも世の中、白黒ハッキリ分かれていることばかりではありませんから、

 

相手の不当性を自身の正当性の論拠にするのは論理飛躍

 

であるという点に注意せねばならないと思います。悪の敵が正義とは限りません。

やたらと相手を悪者にしたがるのは、自身の悪行を隠すため…かもしれませんしね。

 

罪を犯したことのない者のみ、罪人に石を投げなさい」とまでは言いませんが、

お前が言うな」と言われる事態に陥ってはいないか、自戒が必要だと思います。

 

 

皆で分け合うと餓死してしまうため、生きるためには奪うしかないような状況から、

単純な独占欲で相手の食料を奪うような状況まで、戦争の理由や内実は様々あれど、

幾分「人を殺して賞賛される」「戦争の歴史は強姦の歴史」という極限状態ですから、

他者の不当性に焦点を当てた論理展開になりがちなのは必然なのかもしれません。

 

しかし、そうなりがちな事象でこそ、自省の姿勢が大切なのではないかと思います。

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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