「天理は自然のままの本性、人欲は外部刺激によって起こる欲求」(コトバンクより)
『天理人欲』といってもその意味、特に『人欲』の扱い方は時代によって異なります。
今回言及するのは、自由の抵抗物としての『人欲』という観点について。
心の自由や合理性を阻害している要因は何か
「実践の難しさ」と耳にすると「頭の中の世界と実世界とのギャップ」という類いの、
『知行合一』や『言うは易く行うは難し』のような難しさを連想するかもしれません。
しかし、それが非合理で、後悔するであろうことは、頭ではわかっているはずなのに、
ついつい目先にとらわれた行動に流されてしまい『朝三暮四』に陥ってしまうような、
心の不自由さとでも言うべき、行動を選択すること自体の難しさもまた重要でしょう。
人は外部刺激と行動の間に思考を挟み、自分でその在り方を選択できるはずなのに、
なぜそれが難しいのか、その原因を『人欲』に見出したのが『天理人欲』です。
ただし『人欲』が原因といっても、別に無欲に枯れて生きろという話ではありません。
『人欲』とは具体的に何か、わかりやすさ重視で思想の和洋折衷な例を挙げると、
『七つの大罪』の『傲慢,強欲,嫉妬,憤怒,色欲,暴食,怠惰』“など”*1が該当し、
「私は今!『人欲』に心や行動を支配されつつあるッ!」
と、そうした『人欲』の存在を自覚し、客観視してやることが大切なのです。
例えば『影響の輪,関心の輪』を知っても尚、つい他者にばかり原因を求めがちなら、
それは「だから私はこのままで良い」と自身の変化や行動の必要性を嫌う『怠惰』故、
あるいは「だから私は悪くない」と小さなプライドを守ろうとする『傲慢』故、
そんな観点から心理分析してやると人は案外冷静に、自由になれるものだと思います。
ところで、忍術には相手の喜怒哀楽や恐怖を利用して思い通りに人心を操るという、
『五車の術』なる話術があったそうですが、これはある意味『天理人欲』を応用した、
相手に生じる『人欲』を利用して心の自由を奪う術と言える…かもしれません。
いずれにせよ、選択を迫られた際、目先の選択肢を吟味するのは勿論として、
それを判断する自分自身の心の状態も併せて意識してやることが大切だと思います。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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