魚の目に水見えず人の目に空見えず - 自分の目を疑え -
「あまり身近にあるものは目に入らず、ありがたみもわからない」(JLogosより)
人間の認識や評価は相対性に基づいて創り上げられる。
それはつまり、相対性に乏しい対象は認識が難しいということでしょう。
自分のことは自分が一番よくわかっている…とは限らない
「あー…今日も空気を吸えて幸せだ!」
…なんて言う人はそうそういませんよね?
水中に住んでいる魚の目には当たり前すぎて水など映らないように、
地上に住んでいる人の目には当たり前すぎて空気など映らない。
空気は人間が生きる上で、間違いなく最重要要素の一角なんですけどね
人間の認識には必ずしも重要なものが映る訳ではなく
相対性の伴う希少なもの、他者が持っていて自分は持っていないものが映りがちです。
だからこそ失って初めて、それまで自分が持っていた幸せに気付けたりもする。
「おれっていつもそうだ …いなくなって はじめてわかるんだ」
そうならないために、自分の身近にあるものに気付くために、
他者の立場から見た世界の光景を学ぶことが重要
なのだと思います。
人の目に空気が映らないのなら、魚の目に映る世界を学べば良いのです。
「海外での生活を通して、日本のことが、その特異性がよくわかった。」
なんてしばしば海外経験者から耳にしますが、これもその一例でしょう。
他者のことを知ることで、結果的に自分のことがよくわかるのだと思います。
他者を知るとはいっても、人は所詮、経験なくして何かを理解することはできません。
しかしこの言葉は、他者の世界に対して謙虚さを忘れないための言葉であって、
決して他者の世界を知ろうとする努力を諦めるための言葉ではないと考えています。
「よくわからない他者の世界に惑わされるくらいなら、自身の信じる世界を貫き通す」
という生き方や考え方も勿論、尊重されるべきだとは思いますが、
その自身の世界を知る上で、他者の世界が重要なことも忘れてはならないと思います。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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手に入った幸福はやがて見えなくなり、失って初めて幸福に気付く。