木に竹を接ぐ - 幹が曖昧なまま枝を生やそうとしていないか -
「ちぐはぐで調和や釣り合いがとれないこと」(故事ことわざ辞典より)
自身の視野を広げ、盲点を探すため、多くの人から意見を募ることは大切でしょう。
しかし、良い意見は寄せ集めれば良いというものではありません。
軸や方向性なくして善し悪しは決められない
A「次回のドラマ案ですか?人気の高い幕末が舞台の、歴史物なんてどうでしょう?」
B「主婦層を意識して、女性主人公のドロドロ愛憎劇をやりましょう!」
C「無能な目上の権力者を次々に正論で論破する、痛快なドラマが良いと思いますよ」
D「どの意見も一理あるな。いっそ全部採用して、幕末の動乱を生きた女性主人公が、
ドロドロ愛憎劇を繰り広げつつも、将軍や殿様を次々に論破する痛快なドラマに…」
A,B,C「いやいや待て待て、何だそのカオスな誰得ファンタジーはむしろ見たい」
何事においても「混ぜるな危険」や「合体事故」といった類いの事象はあるもので、
意見や素材などのパーツ一つ一つが優れていること、正しいことと、
それらを組み合わせて出来上がるものが優れ、正しいことはまた別の話です。
世の中、長所と短所は表裏一体で、万能なんてそうそうなく(毒薬変じて薬となる)
互いの長所と短所が喧嘩し合うような組み合わせのパーツを寄せ集めたところで、
中途半端にして歪な何かが出来上がる場合が殆どですから、何かを創ろうとするなら
まずはその芯や軸、方向性を明確にすることが重要であり
その上で、その軸に合わせた意見やパーツを模索することが大切でしょう。
皆で意見を出し合って何かを決めようとするのは良いことだと思いますが、
こうした軸や方向性が曖昧なまま、局所的な正しさばかりを重視して、
場当たり的に意見を寄せ集めようとはしていないか、注意が必要かもしれません。
“万能”と“器用貧乏”は紙一重であり、初心者のうちから万能型を目指そうとすると、
中途半端で終わり大成しにくいため、むしろ最初は多少苦手なことに目を瞑ってでも、
自身の長所を意識して伸ばした方が上達が早い…という話を耳にしたことがあります。
勿論、こうした話は個人差が大きいため一概に言えるものではありませんが、
“強み”という軸の明確化が重要なのは、人間の成長においても同じ…かもしれません。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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局所的には正しく見える意見の、その裏側にある短所は見えているか