山頂が目前だからといって、眼前の断崖絶壁を最短距離で登れば良いとは限らない。
- 急いでいるときには危険な近道を通るよりも、回り道でも安全な方を通るほうが結局早いというように、安全で着実な方を選べという戒め。 近世初期に著された咄本『醒睡抄(せいすいしょう)』のなかで、連歌師である宋長が『武士のやばせの舟は速くとも急がば.. 続きを読む
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一見遠回りで間違っているように見える手法が、実は近道なこともある
「基本は姿勢良く。胸を張って腰をしっかり落とす。ところがこれが極まって来ると、
別に猫背でも、腰も殆ど落とさずとも同じことができるようになってくる。
むしろ、猫背や腰が高い方が都合が良く、達人はそっちの姿勢でやってたりする。」
とある武術にて、そんな類いの話を耳にしたことがあります。
素人が最初から達人の真似をしても、いきなりそこへ到達するのは容易ではなく、
まずは基本である綺麗な姿勢を意識し、身体の軸のようなものを作り上げてから、
その後に達人の真似することで、初めてそこへ至れる…といったところでしょうか?
これと似たものに『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』なんて言葉もありますが、
見た目の最短距離を行くことが最高効率であるとは限らず
迂回路を経由した方が、結果的により早く目的地へ辿り着けることもあるのは、
何もこのような武術の、特殊な技能に限った話ではないと思います。
例えば、謙虚であることは大切なことだと思いますが、
謙虚というのは実力や自信の先で、実った結果として頭を垂れることに意味があり、
それが伴わない、『無知の知』を知らない謙虚はただの卑下や謙遜でしょう。
故に最初は実力や自信を意識して、むしろ多少傲慢なくらいで良いのかもしれません。
因みに、「最初から理想や完成系を最短距離で目指せば良いというものではない」
という類いの話の典型例は他にも、「心の距離」による問題が挙げられるでしょう。
例えば、高すぎる理想を掲げ、いきなりそこへ最短距離で至ろうとした挙げ句、
あまりの現実とのギャップに途中で心が折れてしまっては本末転倒です。
また、進行ルート自体は合理的で最短でも、そこを進む人の心が嫌々では、
心のサイドブレーキが引かれたままでは効率が悪いのは言うまでもありません。
そうした場合は一見遠回りに見えても、まずは手近な目標から徐々に歩みを刻んだり、
対象を好きになる努力をして、心のサイドブレーキを解除してから取り組んだ方が、
実際には、心の距離を加味すれば、より近道なこともあるのではないでしょうか。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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