「満足を知る者は、貧しくとも精神的に豊かで幸福である」(故事ことわざ辞典より)
平和で、自由で、衛生的で、文化的で、自然に恵まれ、経済大国の現代日本。
見る人から見れば、この国は本来、既に十分楽園たりうるはずです。
外ではなく自分の内から幸福を見出す
「自分がどれだけ頑張ろうとも、周囲の人間がそれ以上に頑張り、成果を残すと、
自分には結果も評価も伴わないことも少なくない(人間は万物の尺度である)」
「折角幸福を手に入れても、それはやがて霞んで見えなくなり、
かわりに些細なことで不幸に陥りやすくなる(禍福は糾える縄の如し)」
そんな世界の性質上、そう簡単には誰もが幸せにはなれないでしょう。
しかし、そうした相対性の創り上げる架空の世界にも、抜け道はあるものです。
例えば、「昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分」といった具合に、
周囲と自分を切り離して考え、相対性の比較基準を他者に求めるのではなく、
自分自身の内にある基準と比較する分には、周囲の干渉は受けず、心は自由でしょう。
また、ありふれた幸せはただ目に映りにくいだけで(魚の目に水見えず)
自分の欲望がそれで満足しようとせず、自分にはない幸福ばかりを求めがちなだけで、
多かれ少なかれ誰しもが、“幸福の要素”を既に持っていることも忘れてはなりません。
「何でもないような事が 幸せだったと思う♪」…って歌もそう言ってますし
どこか遠くにある、自分にはない幸せを掴み取ろうと、幸せを求めれば求めるほど、
相対性が創り上げる空虚な認識に振り回され、むしろ幸せから遠ざかってしまうなら、
実は自分は既に、十分に幸せで満ち足りているのだと知り
幸せを他者に求めるのを止めることこそが、幸せへの“抜け道”かもしれません。
日々感謝の気持ちを忘れず、分相応で満足することを知れば、心は豊かでしょう。
とはいえ、人は欲深さ故に現状に満足せず、他者と争い、不幸になるというならば、
その反面、そうした性質故に文明社会が発展してきたという側面もまたあるように、
あくまでこうした人の生き方や価値観は正解がなく、人の数だけ異なるものです。
抜け道の存在を知ることは大切ですが、その道を通るか否かは価値観次第でしょう。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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認識と評価はそれ自体ではなく、相対的な比較によって創り上げられる
幸福も不幸も長くは続かず、不幸は幸福を引き寄せ、幸福は不幸を引き寄せる