「わずかな油断や手違いで重大な物事が駄目になることのたとえ」(JLogosより)
別名『蟻の一穴』。規則やルールに厳格すぎて融通が利かないのは問題だと思います。
しかし同時に、それを破ること、特例や前例を作ることの重みを侮ってはなりません。
目先の大小でことの重大さははかれない
「1つの重大事故の背後には29の軽微な事故が、その背後には300の異常が存在する」
とした、『ハインリッヒの法則(1:29:300の法則)』というものがあります。
この1:29:300という比率の是非については研究によって諸説あるようですが、
「重大事故を防ぎたければ、その背後にある小さな前兆を見逃すな」
という点については、共通の見解となっているのではないかと思います。
こうした、小さな積み重ねがやがて、大事へと発展する
という側面は、事故に限らず、様々な事象で見られるのではないでしょうか。
例えば「別に1円くらい」という思いが次第に「別に100円くらい」「1000円」「1万」
そしてやがて「別に1億くらい」という企業不祥事にまで発展した挙げ句、
「はじめはほんの出来心だったんです」なんて、よくある話ではないかと思います。
良くも悪くも「前例」というものはある種、恐ろしい魔力を持っており、
一度踏み越えてしまったが最後、それ以降は簡単に同じことを繰り返せてしまいます。
どれだけ正しく機能していたルールや倫理観も、一度前例や特例を作ってしまえば、
「まぁこれが初めてじゃないし」を言い訳に崩壊してしまうことだってありますから、
ことの大小に関わらず、出来心や前例を戒める姿勢が重要なのではないでしょうか。
ただしこれ、何でもかんでも前例や特例を避ければいいというものでもありません。
例えば「『1回くらいの遅刻や欠席…』が常態化に繋がる」と前例を恐れるあまり、
体調不良を無視して強引に出席・出社した挙げ句、病をこじらせてしまっては、
それこそ「1回くらい無理しても…」が大病の『蟻の一穴』となっては本末転倒です。
『蟻の穴から堤の崩れ』はあくまで長期的な観点を意識するための言葉・手段であり、
手段と目的が逆転してしまわぬよう、その意味を熟考することが重要でしょう。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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