「すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きている」(cf.Wikipedia)
ヤーコプ・ヨハン・フォン・ユクスキュルが『生物から見た世界』で提唱した概念。
動物は皆客観的な世界ではなく、主観的に創り上げた『環世界』で生きている。
観測者によって生きる上で必要な知覚情報は異なる
同じ時間や空間において、同じ対象を認識していても、心や脳といった類いのものに、
それがどんな世界として映し出されるかは動物によって大きく異なります。
例えば、人は認識の大部分(一説には8割)を視覚情報に依存していますが、
その眼には可視光線しか見えず、紫外線や赤外線の映し出す世界は見えていません。
これに対し、ミツバチや蝶は紫外線が見えており、植物は彼らに蜜の場所を教えるため
花の中央部分には紫外線が見えないと識別できない模様が付いているとされています。
また、蛇には赤外線を感知できるものもおり、夜間での獲物の察知に優れています。
そのほか、犬は視覚では人間に劣る反面、より優れた聴覚と約100万倍の嗅覚があり、
マダニは視覚と聴覚が存在しない反面、触覚、特に嗅覚と温度感知が優れており、
ほ乳類の発する酪酸の匂いと、温血動物の体温にだけ反応するとされているなど、
世界を観測する感覚器の有無や差異は、動物によって千差万別にして一長一短です。
故に、同じ世界や空間を共有していても、その様相は観測者たる動物の数だけ異なり、
皆が自分にとって意味のあるもので塗り固めた幻想の世界で生きているため、そうした
主観的に創り上げる世界の理解なくして対象の理解はない
というのが『環世界』という概念であり、考え方です(少し脚色が入っていますが
と、ここまでは生物学上の、異種間の認識する世界の差異について言及しましたが、
これは人間同士であっても、基本的には同じだと思います。
狭義には男性と女性、若者と高齢者、健常者と障がい者などの身体的差異によって、
広義には人間一人一人が持つ経験や価値観、更には一時の感情の差異などによって、
人は同じ世界にいながらにして異なる世界を認識して生きているものですから、
自分の世界での常識が相手の世界でも常識である保障など、どこにもないでしょう。
アインシュタイン「常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクション
今ここからの光景は、こんな感じ。
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人は意味や価値を見出したものしか視ることしかできない