明日は明日の風が吹く - それは思考を止めないための言葉 -

「成り行きに任せて生きるのがよい」(故事ことわざ辞典より)

 

複雑にして不確定要素の多い先行きを案じるのではなく(風が吹けば桶屋が儲かる

もっと単純に、シンプルに、今、目の前にある世界をただ精一杯生きた方が良い。

 

それは自分の思考や影響が及ぶ世界か

 

「単純化して“わかったつもり”に陥ってはいけない」

当サイトではそんなことを、色んな角度から散々口酸っぱく言及してきた訳ですが、

純化してはいけないのは、この考え方自体もまた然り。

すなわち、純化してしまった方が良い場合だってあるものでしょう。

 

そもそも、何故単純化を戒めなければならないのか、といえばそれは、

世界が非常に複雑な関係性で構築されているのに対し(彼方を立てれば此方が立たず

私達の観測・構築する世界は盲点が存在しない世界であり(言うは易く行うは難し

そうした自身の能力の低さ故に自身の無知に気付けず(ダニング=クルーガー効果

身勝手に単純化した挙げ句、安易な“わかったつもり”に陥りやすいからであって、

別に純化せずに思考し続けたからといって、それで理を解せる訳ではありません

 

人の思考や影響が及ぶ範囲には限界があり影響の輪,関心の輪

そうした影響の輪の外の事柄に思考を巡らせ過ぎては眼前の大切な何かを見失い、

思考が迷子になって『分別過ぐれば愚に返る』ことだってあるでしょう。

ですから、そういう事柄では逆に「わからないけど、まぁ、なんとかなるさ」と、

明日は明日の風が吹く』が如く、単純化した方が賢明なこともあるのだと思います。

 

 

ただし、この思考の単純化は決して「思考停止しろ」という意味ではありません。

大切なのは、案じても仕方のない事柄を忘却するのではなく、そのためにこそ

 

具体的な目先へと、思考と行動を分解してやることです。

 

例えば、もし仮に、治療法が不明な難病を発症し、まともに動けなくなったとして、

「いつになったら、どの程度なら回復するのか」という事柄に対しても、それに向けて

「何を失った対価として逆に何を得たのか」と眼前の現状を把握し(大事の前の小事

目標に向け、数分後、数時間後、数日後に何ならできるのかを考えることはできます。

 

そうして思考や行動を建設的に積み重ねるためにこそ(塵も積もれば山となる

先のことは単純に、しかし目先は細かく、思考を使い分けることも大切なのでしょう。

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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自身の影響が及ばない事柄も、行動次第で確率をほんの少しでも上げることならできる

 

先々の事柄にも道標としての意味合いがあり、忘却すれば良いというものではない