角を矯めて牛を殺す - 改善を試みたその先は見えているか -

「小さな欠点を無理に直そうとして、全体をだめにする」(故事ことわざ辞典より)

 

「これが正義だ、常識だ、世界の潮流だ」などのシンプルな言葉は力強いものですが、

対する世界はそんな単純ではなく、ただ良いものを取り入れれば良いとは限りません。

 

改善しようとする対象の背景は、その周囲は見えているか

 

昔々とある所に魔王による長年の独裁で民が苦しんでいる国がありました。

そこに突如現れた勇者が見事に魔王を討ち取り、その国に平和が戻る…かと思いきや、

魔王によって保たれていたパワーバランスが崩壊したことで各地で内乱が勃発、

魔王を中心として回っていた経済も破綻し、結果的により酷い惨状に陥りましたとさ。

 

…というのは私がテキトーに考えた創作なのですが、

これに似たような話は、現実世界においてもそう珍しい話ではないでしょう。

 

人は、眼前の事象を自身の持論に都合良く解釈することで(一事が万事

原因や責任を何か1つに押し付けて物事を単純化し(堂が歪んで経が読めぬ

“わかったつもり”になって安易な批判に走りたがるものだと思います。しかし、

 

1つの物事の背後には、それに適応した様々な事象があり

 

それがどんなに悪いものでも、今となっては時代遅れなものであっても、

それが長年そこにあれば、その周囲はそれに適応した形へと最適化されているもので、

それを1つだけを変えてしまえば、木に竹を接ぐような歪さが生じても当然でしょう。

 

勿論、改悪を恐れて行動を起こせなくなっては本末転倒ですが(焼きなまし法

「魔王さえ倒せば世界は救われるんだ!」なんて短絡的思考に走っていないか、

自分に都合の良い木だけを見て、周囲の森を見落としていないか(木を見て森を見ず

物事を自分に都合良く単純化していないか、戒めることも大切かもしれません。

 

 

素人には「何故こんな非合理なんだ」とか「こんな簡単なことが」と思える事柄でも、

実際には、彼方を立てれば此方が立たないような複雑な関係性があったり、

それ1つ改善しようとすれば、それに最適化されたその周囲の諸々も纏めた、

非常に大掛かりな改修が必要だったりと、その背後には様々な事情があるものです。

 

ただ真似るだけでなく、そこから自己流へと昇華させる個人の学びと同様に(守破離

何かを改善しようとするならば、むしろその後こそが本番なのかもしれません。 

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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原因や欠点だと思い込んでいた対象が、実は長所として機能している可能性もある