「悪政は人を食い殺す虎よりも恐ろしい」(故事ことわざ辞典より)
「なんもかんも政治が悪い」なんて言いますが、民主主義での悪政は国民の自業自得。
しかし、では何が正しくて何が悪政なのか、その見極めも容易ではないのが難しい所。
政治のレベルは国民のレベルを映し出す鏡である
A「何?虎に夫も子も舅も食い殺された?何故こんな危ない所に住み続けているの?」
B「だってここの政治はそんなに酷くないじゃない。悪政よりは虎の方がマシ。」
というのが『苛政は虎よりも猛し』の語源ですが、人食い虎こそ現代日本では稀でも、
悪政が虎より恐ろしい恐慌や戦争などを招く恐れがあるのは、今も同じでしょう。
そして民主主義国家においては、その悪政を生み出すのは他ならぬ私達国民です。
『下手の考え休むに似たり』で、専門家でもない国民が政治をアレコレ考えるより、
専門家たる政治家にある程度の判断を委ねるのは、合理的なことだとは思います。
が、肝心のその専門家が専門性とはかけ離れた人気投票で選考されては本末転倒で、
幾ら政治家が正しい主張をしても、国民にその理解力がなければ意味をなしません。
悪政からは逃げるしかなかった昔とは異なり、今は他ならぬ私達が悪政を生む時代。
『苛政は虎よりも猛し』と戒めるのは、現代日本の方がむしろ大切かもしれません。
ただし、何を主張しようとも必ず左右何処かから何かしら批判されるのが政治の世界。
そんな批判や誹謗中傷の嵐の中でも精神を病まずに最前線に立てるのは、そして、
そんな世界において声が大きいのは、自分とは異なる意見と相対した際に、
躊躇なく「正しいのは俺で間違っているのはお前だ!」と断言・妄信できる人間です。
当然、そういう人間同士の議論は、持論を信仰する信者同士の宗教戦争になります。
それ故、そこは論破しても意味をなさない『泣く子と地頭』が強い世界であり、
『君子は豹変す』とは真逆の意味で、悪い意味でブレない人間が強い世界であり、
そうして『無知の知』とは非常に相性が悪い世界です。
ですから、他ならぬ自分の身や生活を守るためにこそ、政治への関心は大切…ですが、
だからといって安易に「政治活動に参加しよう!」とも言い難いのが難しい所。
勿論、理解を深めるためには実際に行動することが非常に重要な訳ですが(知行合一)
そういう世界の中でこそ『無知の知』を実践できるか、その真価が問われるでしょう。
今ここからの光景は、こんな感じ。
関連記事
批判というと対決姿勢になりがちだが、信頼関係なくして意思疎通は成立しない
相手を攻撃すること自体が批判の目的になってはいないか