「つまらないものの中にすぐれた者がまじっていること」(故事ことわざ辞典より)
周囲から反対されるほど燃え上がる『ロミオとジュリエット効果』が如く、
肯定or否定一色の論調はその対極を際立たせ、助長してしまうこともあるものです。
異物も織り交ぜなければ、異物に対する耐性はつかない
友情を演出したければまず対立を、希望を演出したければまず絶望を描写する、
こうした対比表現は色々なエンタメでしばしば用いられる手法でしょう。
人間の認識というのは相対的なもので(人間は万物の尺度である)
同じものを見続けていればその姿はやがて心に映らなくなり(魚の目に水見えず)
代わりにその対極事象が印象的に映るようになるもの(禍福は糾える縄の如し)
故に、森の中に隠された木や、人ごみの中に隠れた人は認識され辛く、
逆に、紅一点の花や、掃き溜めの中にいる鶴は実際以上に強く認識される訳ですが、
何かを全面に押し出せば、相対的にその対極が際立つ
というのは、何もエンタメの演出に限った話ではなく、
世の中では意図したものを全面に押し出した結果、意図とは真逆の存在が際立ち、
結果的に周囲が意図とは正反対の向きへと進んでしまうこともあると思います。
例えば、戦争が残酷で非生産的なことは言うまでもないと思いますが、
盗人にも三分の理があるように、どんなことにも美談の一つや二つはあるもので、
七部の負の側面ばかりを教えられて来た人の眼には、そうした三部の美談が、
それまでの考えを覆すほどに、過剰に光輝いて見えてしまうこともあるでしょう。
そのほか、現実とはかけ離れた理想ばかりを追求していると、問題が表面化した際、
かえって現実路線が際立ち、反対運動が活性化してしまうのもよくある話で、
何かを目指すなら、その最短距離を突き進めば良いとは限らず(急がば回れ)
理想と現実、正と負、そうした両端のバランス感覚が大切なのかもしれません。
理想を掲げるのは大切なことだと思いますが、変革と改悪は表裏一体であり、
自らの掲げた理想の代償は何なのかを把握することも大切でしょう(大事の前の小事)
それが例えどれだけ正しくとも、周囲から理解を得られぬ理想に意味はなく(折檻)
理想を強引に押し進めたが故に、その理想を潰してしまっては本末転倒なのですから。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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何かを変革することは、既存の山頂から一度下山(改悪)するということである
両端のバランス感覚が大切なのは、理性と感情のバランスについても同じ