光の当て方や角度を変えれば見え方も変わる、人の価値はそんな“玉虫色”の如し。
- 四字熟語。 (1).釈迦の発した「天上天下唯我独尊」という言葉に由来する。 「人はそれぞれその人にとってかけがえのない尊い存在である(のでお互いに他人を大切にしよう)」というような意味を持つ。 (2).自分一人が特別に優れていると自惚れること。ひとりよ.. 続きを読む
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何かで劣り,批判されようとも、人としての本質までは否定されない
世の中には「気が置けない」や「役不足」など、その言葉の本来の意味よりも、
逆の意味で多用されている言葉がありますが、『天上天下唯我独尊』もその一つ。
「自分だけが尊い」と思われがちですが「誰もが皆尊い」というのが本来の意味です。
しかし現実はどうでしょう?いくら口先で綺麗事を並べたところで、
社会には勝ち組と負け組が、スポーツには一流選手と二流選手がいるように、
人が競う所には必ず優れた者と劣る者が生じるものです(人間は万物の尺度である)
ではなぜ、そうした優れた者も劣る者も、皆共に等しく尊い存在であるのかといえば、
人には本質的な優劣などないからでしょう。
勿論、特定の条件下においては相対的な優劣が生じるのは前述の通りですが、
そうした優劣は目的や背景に依存するものであり(毒薬変じて薬となる)
本質的に存在するのはただ差異のみで(魚は殿様に焼かせよ、餅は乞食に焼かせよ)
優劣という名の価値は、極めて断片的で一時的なものでしかありません(色即是空)
そしてそうした、観測者の心一つで肯定も否定できる(坊主憎けりゃ袈裟まで憎い)
枝葉末節な代物が無数に積み重なったものが人という訳です(塵も積もれば山となる)
ですから、特定の価値基準における何かで劣ろうとも過度に悲観する必要などなく、
逆に何かで無理に優ろうとせずとも、本質的には人は皆等しく尊い存在なのでしょう。
とはいえ、そうはいっても社会やスポーツにはルールという“特定の条件”がある訳で、
その中で生きていくなら、その条件下での断片的な優劣を意識することも大切であり、
『元々特別なOnly one♪』を言い訳に、現状に甘んじても良い訳ではないでしょう。
ただし、組織においては適材適所や役割分担という観点も重要ですし、
ある分野で挫折した人間が、別の分野で才能を開花して大成…などもよくある話で、
実社会における優劣の定義や認識も、案外複雑にして曖昧で難しいものですから、
目先の優劣にとらわれず、しかし軽視もせず、そんな姿勢が大切なのかもしれません。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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