「どんなことでも一途に思いを込めてやれば成就する」(故事ことわざ辞典より)
人間その気になれば、時に論理的には困難な芸当だって案外できちゃうものです。
そうした人の持つ“心の力”を活用しないのは、あまりにも勿体ない。
燃料の性質を把握し、それに応じた機械設計はできているか
「人欲を排して天理に従う」すなわち「『人欲』を“排除”しなさい」と。
しかし「『人欲』を“なくしてしまえ”」という主張には否定的だったそうな。
ではなぜ『天理人欲』における『人欲』はかくも微妙にして絶妙な扱いなのか、
それは『人欲』が自由の抵抗物であると同時に、有用な代物でもあるからでしょう。
某国民的RPG「それをすてるなんてとんでもない!」
というのも、合理や論理を機械と例えるなら、感情はその動力源となる燃料であり、
どんなに立派な機械(合理や論理)も、燃料(感情)がなければ動きません。
そしてそうした中でも、制御が困難なほどのエネルギー量を誇る燃料が『人欲』です。
だからこそ、行動のために使うはずの燃料に、逆に行動を支配されてしまわぬよう、
自身の在り方や意志の決定プロセスからは『人欲』を排除することが大切な訳ですが、
だからといって、燃料としての『人欲』までなくしてしまうのは話が別なのでしょう。
結局は『人欲』も使い方次第で毒にも薬にもなる代物であり(毒薬変じて薬となる)
理性で敷いたレールの上に、感情で動く列車を走らせる
が如く、理性的に見据えた目的と、生じた『人欲』を両立・共生させられるような、
そんな付き合い方を意識し、模索してやることが大切なのかもしれません。
ちなみに、理性と感情はしばしば相反する事象であるかのように言及されますが、
一説には感情の起源は獲物(プラス)と天敵(マイナス)の識別反応だったそうで、
『朝三暮四』な傾向こそ強くとも感情も根本は十分に論理的で合理的な産物でしょう。
ですから、心の世界は人の数だけ異なるため、一概に言えるものではありませんが、
「その怒りは相手に何かを伝えたいという意思表示ではないか」
「その苦しみは現状を打開しようと足掻いている証ではないか」といった具合に、
感情の根源を解明してやることが、理性と感情を共生させるコツ…かもしれません。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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