「人と協調はするが、主体性を失うようなことはしない」(故事ことわざ辞典より)
協調性を重視するあまり自分の判断を捨てた挙げ句「え、だって皆やってたから」
「皆そうだと言ってたから」などと後に言い訳する事態は避けたいものです。
目先の協調を重視するあまり、本来の目的を見失ってはいないか
無用な敵対や争いを避けるため(和を以て貴しとなす)
意思疎通の土台である信頼関係を構築するため(郷に入っては郷に従え)
考えの差異を乗り越え、生産的に物事を進めるため(小異を捨てて大同に就く)
理由は多々あれど、和を重んじ、他者と仲良くするのは大切なことでしょう。
しかし、和を重んじることは同化してしまうことではありません。どうかしてるZE☆
例えば、人は敵対する相手の意見をわざわざ聞き入れようとはしないものですから、
相手に批判を伝えるなら、その土台となる信頼関係の構築が重要でしょう(折檻)
しかし、これはあくまで意思疎通の手段として和を重んじるのであって、
不和を恐れるあまり、相手に批判的な意見を伝えられなくなっては本末転倒です。
また、互いの意見を批判し潰し合うだけで何も進まないのは非生産的ですから、
協調できる部分では協調し、行動に移せるものから移した方が生産的でしょう。
しかし、相手との協調を意識するあまり、小異のみならず主体性まで捨ててしまい、
ただの傀儡となって思考停止してしまってはもはや“馬鹿”というものです。
「他者と仲良くし、協調することは目的ではなく手段である」
と言ってしまうと物凄く打算的で嫌な感じがしなくもないですが、
仲良くすることが目的と化し、本末転倒になっていないか
そうして和を重んじることの意義や目的を意識することも大切でしょう。
「仲良しグループと化した組織は失敗する」なんて耳にすることがありますが、
これも和を通り越して同化してしまった典型例ではないかと思います。
「あいつらは(自分達と違う意見だから)わかってない」と揶揄し(忠言耳に逆らう)
仲間同士で互いに肯定し合い、傷をなめ合う非生産的な集団と化す(類は友を呼ぶ)
和を重んじることにはそんなリスクもあるのだと戒める必要があるのかもしれません。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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