「始めた頃の謙虚で真剣な気持ちを持ち続けねばならない」(故事ことわざ辞典より)
慣れて油断した結果、思わぬ失敗をしてしまわぬよう、初心を忘れないのは大切です。
しかし、初心が大切な理由はそれだけではないでしょう。
初心とは、道中で自分を見失わず、迷わないための道標である
人間、目先のことに集中し、それを考察するのは割と得意なものだと思います。
しかし、自分は一体何のためにそれをやり、今は全過程のどこに位置しているのか、
そうした客観的な視点を持ち続けるのは苦手な傾向にあるでしょう。
特に、人は何らかの目的のための手段として日々の行動をしている訳ですが、
目先の手段や行動、目先の障害や問題のことばかりを考えていると、いつの間にか
手段であったはずの行動そのものが目的と化し
気付けば本来の目的とは真逆の方向に進んでいて、迷子になってしまっていた
…なんてことも、そう珍しい話ではないと思います。例えば、
自身の勉学の理解度を深めるために試験を受けるはずが、試験自体が目的と化すと、
不正に手を染めてしまった挙げ句、肝心の勉学の理解は深まらなかったり
他人に喜んでもらえるのが嬉しくて芸事を始めたのに、芸事そのものが目的と化すと、
自分の技術を誇示するだけで、観客に理解されない独善的な演目になってしまったり。
『初心忘るべからず』とはつまり、そうして迷子にならないための知恵であり、
初心という、自分が素人の頃に、何かを始めた際に抱いた感情や、そこからの光景は、
当初の目的を見失わず、今の自分を客観的に知るために重要な情報なのでしょう。
そんな訳で、目先にばかり執着しすぎないことは大切だと思います(朝三暮四)
が、場合によってはあえて、目先の最善手ばかりを模索してみるのも一興でしょう。
例えば、どんな目的を立てれば良いのかすら分からず、目的を探すことが目的ならば、
むしろ最初から迷子になるつもりで、目先に執着し様々な道を模索した方が、
結果的により良い発見に繋がりやすいものかもしれません(計画的偶発性理論)
今ここからの光景は、こんな感じ。
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