『鶴の一声』を横暴と断ずるのは早計でしょう。ただし、それが本当に鶴の声ならば。
- 多くの人々がああでもない、こうでもないと議論している際、その集まりの重鎮・有力者・権威者がひとことを言って方向性がきまるありさま。多くの議論や意見をおさえつける力がある。用例「社長の“鶴の一声”で決まる」 続きを読む
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情報そのものをちゃんと吟味できているか
さて、今更ではありますが小生のことについて自己紹介を…
小生、色んな世界や組織を渡り歩き、数々の成功と失敗を経験しておりました
が、突如現代医学では解明されていない難病を発症、一線を退くことになります
すると、それまで健康だった頃に見えていた世界の光景が一転
身体を壊したことで“わかったつもり”になっていた盲点に気付き、その経験を…
…とでも書いとけば、このサイトの説得力も少しは上がるでしょうか?←
人は無知の自覚故なのか、それとも単に脳がサボりたがっているだけなのか、
言葉などの情報そのものより、その発信者からその価値を判断する傾向があります。
実際、行動や経験の伴った、経験者の語る知識は有益なものですから(知行合一)
自身の世界を過信して排他的になってしまうくらいなら(ダニング=クルーガー効果)
自身の理解力より、発信者の権威や経歴を信じるのも合理的だとは思います。
しかし、どんな賢者にもわからないことがあるのは勿論(千慮の一失)
聞いたこともない大学の教授など、素人ではその権威を過大評価しがちなケースや、
経歴を詐称して信用を得ようとする詐欺の常套手段のようなケースも踏まえれば、
そもそもの権威や経歴の価値判断自体が容易ではなく
そうした他者評価能力も含めて自身の無知を戒めることが大切かもしれません。
そんな訳でこのサイトでは小生の自己紹介をする予定はありません。
した方が説得力が出るとは思いますが、ネット上ではいくらでも偽れてしまいますし、
発信者の素性よりも、言葉そのものを吟味していただければ幸いに存じます。
ちなみに、男性を指す一人称の『小生』もあくまで『show say』の言葉遊びですし、
『女性=感情的』という偏見を嫌い、紀貫之が如く性別を偽っている…かもしれないw
今ここからの光景は、こんな感じ。
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