「どんなに金持ちでもからだが弱くては何にもならない」(ことわざ辞典より)
自分の限界を恐れる人へ、人の身体は貴方が思っている以上に頑丈でしょう。
自分の限界を恐れぬ人へ、人の身体は貴方が思っているよりも脆いでしょう。
痛みや疲労は感じなくなることこそあれど、消えて無くなりはしない
人間、誰しも何かに挑戦していれば「もう駄目だ」と思う限界に打ち当たるでしょう。
しかし、そうした限界は殆どの場合、能力的な限界、つまり文字通りの限界ではなく、
心が創り上げた架空の限界だった…なんてことも結構あるものだと思います。
人の身体はそうした心の限界以上に、つまり本人が思っている以上には頑丈で、
しかも、そうした限界を乗り越えた先では、凄い底力を発揮できることがあります。
例えば、怪我をしたスポーツ選手がそのまま強行して試合に出場できてしまったり、
夢中になれることなら多少徹夜続きでも平気だったりと(好きこそ物の上手なれ)
架空とはいえ限界を超えた力ですから乱用は禁物ですが、使い方さえ間違えなければ、
「私ってこんなに動けたのね」なんて本人も思うくらい、底力は非常に有用でしょう。
しかし、これにはランナーズハイやクライマーズハイのような中毒性があるのが問題で
底力を乱用してしまった身体は、本人が思っている以上に脆いものとなりがちです。
「ホントだ!その気になれば痛みなんて、完全に消しちゃえるんだぁ…!」とか
「カラダもってくれよ!!3倍界王拳だっ!!!!!」など、底力に溺れて身体壊すのは定番d…(ry
人間、目先の試合や仕事、富や成果に捕らわれがちな反面(朝三暮四)
逆に健康のようなありふれたものは軽視してしまいがちですが(魚の目に水見えず)
目先の成果を最大化しようとした挙げ句、底力に溺れて身体を壊してしまっては、
もはや小さな成果を積み重ねることすら困難になります。
ですから心の限界を恐れず、しかし底力に溺れず、その塩梅が大切なのだと思います。
人間、本気になれば大抵のことは案外何だってできるものかもしれませんが、
24時間365日不眠不休は無理なように、生物学的な限界があるのもまた事実でしょう。
重要なのは、そうした生物学的な限界は十人十色ということであり(遺伝的多様性)
健康も限界も底力も、自他の常識を混同してはいないか、注意が必要だと思います。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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大切なのは、塵でもいいから“積み重ね続ける”ことで、身体を壊してはそれすら困難
心の創り上げた架空の限界を取り払うことも含め、心の力というのは非常に強い