自信とは、自分を信じる心の力でしょう。自信と慢心は別物なので注意が必要ですが。
能力で負ける前に心で負けていないか
呪いや祓いといった、呪術や祈祷ってありますよね。
なぜこれらが歴史に名を残し、文化として残っているのかと問われれば、
そりゃ実際に、ある程度の効果がある(orあった)からでしょう。
もっとも、その効果のメカニズムは超能力者説から偶然説まで諸説ある訳ですが、
最も有名なのが『プラシーボ効果』に代表される人の思い込みの力説だと思います。
一説には、アメリカの少年が末期の脳腫瘍をイメージの力だけで完治した事例もあり
…というのは流石に極端にしても、人の思い込みの力、心の力というのは強力で、
「そうであって当然」という心の姿は現実にも反映される
という事象自体は、割と身近でありふれているのではないでしょうか。
例えば、勉強が得意な子と苦手な子では、頭の良さ以前に心の姿が既に異なっていて、
理解が困難な、わからない問題に直面したとき、
勉強が苦手な子は「どうせ私は頭が悪いから」とすぐに諦めてしまいやすいのに対し、
勉強が得意な子は「自分なら理解できるはず」と自分を信じ、
先生や友人を頼ってでも理解しようと、努力を諦めない傾向が強いと思います。
「自分ならできるはず」と自分で自分を信じねば、本来できるはずのこともできず、
逆に信じてみれば案外、心の姿が具現化して万事なんとかなるもの…かもしれません。
某ドリル兄貴「お前が信じる、お前を信じろ!!」
人間、無知なときに自信を持つのは案外簡単ですが(ダニング=クルーガー効果)
現実に直面し自信が打ち砕かれたときこそ、自分を信じる心の力は問われるでしょう。
ちなみに、もし自分を信じられなくなってしまっても大丈夫な裏技もありまして、
宗教・信仰「俺を信じろ!お前を信じる俺を信じろ!!」
といった具合に、信じる対象を自分を信じてくれる第三者にしてしまえばいいのです。
冒頭の呪術や祈祷を含め、だから歴史上、宗教国家は強かったのかもしれません。
今ここからの光景は、こんな感じ。
関連記事
仮にプラシーボ効果が期待できずとも、心が変われば少なくとも行動は変わる
ただし、何でも心の力でなんとかできる訳でもなく、身体的限界も確かにある