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小異を捨てて大同に就く - 世界は自分を待ってはくれない -

互いに自らの誤りを認め、相手の正しさを尊重できる度量があることが前提条件ですが

不毛な議論を重ねるくらいなら、“議論をするために”ことを進めるのも一興でしょう。

小異を捨てて大同に就くとは

  • 意味 小さな異見から離れて、大勢となっている同意見に従事すること。小異に囚われずに、大同に従って行動すること。※中国の格言との違い 「求大同 存小異」:大同を求めて、小異を預ける。大同を求めるが、小異は心の中などに残して、捨て去ってはいない。関.. 続きを読む
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実際に問題が顕在化し、客観的な情報が揃ってこそ議論ができる

 

生徒A「『 I love you』…日本語訳すると『我君を愛す』かな?」

夏目漱石飛影は日本人はそんなこと言わない。訳すなら『月が綺麗ですね』だ。」

 

なんてエピソードの如く、何が意訳で何が誤訳なのかは判断が難しいところで、

『小異を捨てて大同に就く』も『小異を“残して”大同に就く』が本来の意味に近い

とする意見もあるようですが、いずれにせよ小さな差異に執着した挙げ句、

 

(大同に従った)具体的な行動に移せないのは良くない

 

という点は共通見解なのではないかと思います。
 

多くの場合、実践の伴わない知識とはすなわち机上の空論であり(知行合一

そんなもの同士で非生産的な議論を繰り返すくらいなら(論より証拠

少しでも、行動に移せるものから移した方が生産的というものでしょう。

 

勿論、例えそれが小さくとも差異を抱えたままことを進めれば、

後になって亀裂が生じてしまうリスクが伴うのも事実だと思います。

 

しかし人間、行動という名の経験によって、そこからの光景は常に変わるものです。

最初は納得いかなかった部分でも、行動を共にしているうちに、

頭の中で描いていたことを実践するうちに、自分の盲点に気付けるかもしれません。

そんな互いの想定外を想定して行動を共にする姿勢が重要なのだと思います。

 

 

批判を口にしていると「自分はわかっている」という優越感に浸ってしまいがちですが

盲点や想定外が存在しない頭の中の世界の住人という点においては、

実践が伴っていない批判者も、批判対象である実行者となんら変わりません。

 

自分が現状維持を試みても、時代や環境は現状を維持してくれず焼きなまし法

故に何もしなければ現状を維持できる訳でもなく、何もしないこともリスクですから、

膠着状態を嫌い、大勢と共有できる部分を模索する意識が大切なのかもしれません。

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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