「俺が何をしようが、お前には関係ないやろ!」…とは限らないのでしょう。
- 理に合わないことが世にはびこる時は、道理にかなった正しいことは行われなくなること。間違ったことが堂々と行なわれると、正しいことが行なわれなくなること。関連 無理が通れば道理は引っ込む 続きを読む
- このキーワードを含むブログ (今週 1 件) を見る
「皆がやっている」は、時に法すらも凌ぐ
「どうして赤信号で渡ってはいけないのか?」という質問に対する答えは
「道路交通法違反だから」「危ないから」「車両の迷惑になるから」などのほか、
「事故になったとき賠償請求で不利になるから」といったものまで、様々でしょう。
そのいずれも間違っているとは思いませんが、もっと根本的な話として、
「皆が信号無視しだしたら、交通ルールが崩壊するでしょ?」と、
皆がルールを守らなくなったら、結局皆が困るでしょ?
という観点に立ったのが『無理が通れば道理が引っ込む』です。
ルールというのは、集団の利益を守るため個人に不自由を強いている側面があります。
ですから誰かがルールに反して個人の自由を追求し、それが黙認されてしまうと、
それが連鎖的に広がり、誰もルールを守らなくなる、そんな危うさがあるのでしょう。
実際、『赤信号 みんなで渡れば こわくない』なんて言葉があるように、
「皆がやっていること」は時に「ルールで定められたこと」以上の力を持ち、
(地域にもよりますが)車の制限速度や、エスカレーターの片側寄り乗りなど、
それの良し悪しはさておき、法律や企業が安全のために呼びかけているルールよりも、
「皆がやっていること」の方が錦の御旗を掲げているケースは案外あるものです。
さて、そんな訳でルール違反をする人間を見かけたら『蟻の一穴』を侮らず、
無理が通って道理が引っ込んでしまう芽を摘むために、積極的に注意することが大事
…とは必ずしもならないのが現実社会の難しいところですねw
人の作り出したルールはえてして不完全なものですから、いついかなるときも、
それを厳守することが正しいとは限りません。また、注意をするにしても、
それが相手の行動の是正に繋がらず、敵対に終わってしまっては意味がありません。
ですから身勝手な正義に陶酔せず、状況に応じた柔軟な対応が実際には大切でしょう。
今ここからの光景は、こんな感じ。
関連記事
個人と集団の利害は必ずしも合致しない
相手を変えるのではなく、相手が相手の意思で自発的に変わるだけ