「頼るのなら、勢力のある者のほうが安心でき利益もある」(故事ことわざ辞典より)
自分がどんな集団に属し、頼るかは、時に死活問題ともなる重要なことですから、
実際、寄るなら大樹の方が良いでしょう。ただし、それが本当に大樹であるならば。
その大樹は寄るに足る、中身の伴っている大樹か
「頼るなら大勢力」と言ってしまうと、いかにも他力本願な感じに聞こえますが、
「自分の力を過信するな」と言い換えれば、また違って見えるのではないでしょうか。
自分には何一つ落ち度がないのに、
国の判断ミスによって、あるいは、小国であるが故に戦乱に巻き込まれてしまう。
経営者の判断ミスによって、あるいは、規模の小ささ故に不況で倒産してしまう。
世の中、そういうことだってあると思います。
勿論、その集団に属する一員である以上、自身の責任が全くない訳でもないでしょう。
しかし、少しでも責任があることと、危機打開能力があることはまた別の話です。
「節約志向な自分にも不況の責任はある。もっと消費してれば不況を回避…できた?」
ですから『寄らば大樹の陰』なのでしょう。
自分個人の非力さを自戒し、集団の力に謙虚にあることが大切なのだと思います。
ただし、これには問題があります。すなわち、大樹の陰に寄ることができた人間は、
「大樹の陰に寄れたからもう安心だ」と、他力本願に陥りやすいということです。
大樹、大勢力とはいっても、それを構成するのは人間ひとりひとりです。
少数の人間から主体性が欠け落ちたところで然程問題はないかもしれませんが、
それが伝播し、組織全体の傾向ともなれば、それは組織の腐敗と化します。
見かけは立派な大樹でも、実は内側から腐り落ちていた
なんてことになっていると、むしろそんな大樹の陰に寄るのは危険ですから、
大きな集団を見るときは、その内側まで見通す姿勢が重要なのだと思います。
念のために申し上げますが「他力本願な人間は害悪」というつもりはありません。
逆に主体性のある人間“しか”いない集団が、本当に優秀なのかは疑問が残りますし、
要は比率の問題なのですが、大樹となるとその比率が偏りやすいのだと思います。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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個人目線では大樹の陰に寄った以上、適当に周囲に流されるのも合理的ではある…が
上の人間の判断ミスを嫌い、恐れるのなら、自分が上に立ってしまうのも一興