「みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良い」(故事ことわざ辞典より)
「仲良くする」とはつまり、「皆で共有できる利益を模索する」ということでしょう。
悪行は必ずしも悪意から生まれるとは限らない
「戦争や犯罪はなぜ起こるのか」
その理由は多種多様で一概に言えるものではないと思いますが、
一つの理由に「必要に迫られてやむを得ず」というのが考えられるでしょう。
例えば、餓えに苦しむ母親と子供。
食料を分け与えて欲しいと懇願しても受け入れられず、子供には一刻の猶予もない。
子供を見殺しにしないためには、もう誰かから食料を奪う意外に方法はない。
それこそ、その目的を達成するための障害となるなら、最悪、相手を殺めてでも…
というのが戦争や犯罪行為の根源の一つではないでしょうか。
でもこれ、犯罪に巻き込まれて命の危機にさらされてしまう側は勿論、
子供への愛情故に犯罪に走らねばならない母親も含め、皆にとって不幸ですよね。
愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!! 愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!!
それなら皆で仲良く食料を分け合った方が、貧困者は犯罪に走らずに済むし、
食料を分け与える側も目先は損でも、犯罪に巻き込まれずに済むという利を得られる。
そんな風に、『和を以て貴しとなす』というのは
利己的な損益ではなく、皆で共有できる利益
を重視したものであり、納税による富の再分配や生活保護による治安維持など、
現代においても無縁どころか、現代でこそより実現できている…かもしれません。
ただしこれ、十七条憲法でも「ちゃんと勤勉に働けよ」と併記されているように、
あくまで皆が精一杯生きていることを前提としている点には注意が必要でしょう。
A「(遊ぶ)金をくれー!『和を以て貴しとなす』!拙者、働きたくないでござる!」
B「自分に都合の良い部分だけ拾うな。十七条憲法もう一回読み直してこい。」
今ここからの光景は、こんな感じ。
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皆が利己的な損益を追求すると、結局皆が揃って損害を被る
分け合うだけでは解決できない問題も、悪意の伴う悪行もある