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囚人のジレンマ - 利益のために利益を捨てられるか -

正直者が馬鹿を見る。しかし、皆が正直者でなくなったら、皆が馬鹿を見る。

囚人のジレンマとは

そして誰も自由や幸福を追求できなくならないか

 

自由が認められ、各々が幸福を追求する権利が認められ…

自由こそが正義、いい時代になったものだ。

 

しかし、他者の自由や権利を侵害するような個人の自由は認められていないように、

自由とはいってもその全てが無条件に尊い訳でもないでしょう。

つまり、個人と集団の利害は必ずしも合致しないという点が最大の問題であり、

 

皆が自分の利益を最大化しようとすれば、皆が損をする。

 

社会には『囚人のジレンマ』(この場合、厳密には『社会的ジレンマ』)のような、

そんな側面もあることを忘れてはならないと思います。

 

例えば、集団で共同作業をすると手抜きしてしまいがちですが(社会的手抜き)、

それはある意味で賢明な判断かもしれません。

実際、人数が多ければ多いほど、自分一人が手抜きしたところで影響は微小ですから、

どうせ同じ報酬なら、怠けられるだけ怠けた方が、少なくとも目先は合理的です。

 

しかし、皆が同じように手抜きをすると影響は甚大です(塵も積もれば山となる

それが企業活動なら競争力の低下を招き、倒産に至ることだってあるでしょう。

そうして職場がなくなったら手抜きもへったくれもありません。

 

そんな風に、個人の自由は社会の基盤の上に成り立っている訳ですが、

自由を追求して基盤を壊してしまっては、結局自由を追求できなくなってしまいます。

個人の自由や権利を主張する際は、そうした社会的視点も重要ではないでしょうか。

 

 

男女平等、女性の社会進出、核家族化、自由恋愛、結婚への社会的圧力の減少など、

個人の自由や権利を追求し、近年、様々なものが変化しました。

 

そしてそれと時を同じくして出てきたのが少子化問題や離婚率の増加です。

その原因がこれらの中にあるかは不明ですが、皆が自分の自由や権利を追求した結果、

子供という社会の基盤がその犠牲となって崩壊…なんて側面もあるのかもしれません。
 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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