「1人当たりの課題遂行量が人数の増加に伴って低下する現象」(cf.Wikipedia)
別名『リンゲルマン効果』など。自分の行為と結果の因果関係が見えにくいと、
怠惰に繋がるだけでなく、身体の制御感覚が狂わされてしまう側面もあると思います。
その作業に裁量権は、当事者意識は、自由意志はあるか
名前は別に何でもいいのですが、ここでは仮に、あくまで例として、
『ガ○ダム』という名前の組織を1人で立ち上げたと仮定しましょう。
組織のメンバーが1人ということはつまり、自分のパフォーマンスが組織に直結します。
自分が怠けると組織も止まるし、自分が活躍すれば組織も躍動するので、
「俺がガ○ダムだ」※あくまで『ガ○ダム』という組織名です
とでも言わんばかりの、組織と自分の同一化が生じても不思議ではありません。
ところがぎっちょん、この組織がやがて成長しメンバーの数も増えると、
次第に自分と組織との距離が遠くなり、組織との同一化は難しくなります。
自分の自由意志で、指示や判断一つで組織を動かせる上層部の人間ならともかく、
自分が少々怠けても頑張っても組織に直結しない、その比重が小さい末端の人間でも
「俺が、俺達が、ガ○ダムだ!!」※あくまで組織名です
という組織との同一化の実感を持てるかと問われれば、難しいのが実情でしょう。
そうした当事者意識の薄い人間が組織活動のモチベーション維持に苦労したり、
多少手を抜いてしまったとしても、それは当然のことかもしれません。
ゲームは自分の出来不出来がスコアに直結して、結果が見えるから面白いのであって、
スコア表示が例えば国内の合計点だけだったら、面白みを見出すのは難しいですから。
同じ組織に属して同じ作業をしていたとしても、こうした関与の実感次第で、
同一化の実感の有無で、そこからの光景は随分異なります
そうした世界の差異に気付けず、創設メンバーや上層部が新人や末端の人間の世界を、
自分の世界基準で認識してしまうと、それはやがて大きな歪みとなるかもしれません。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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