株を守りて兎を待つ - 専門家は革新を嫌う -

「古い習慣や過去に偶然成功した経験にこだわること」(故事ことわざ辞典より)

 

一度山の頂まで登り詰めた人間は、その居場所に固執し、環境の変化に柔軟に在れず、

新たにより高い頂が現れても、それを目指したがらない傾向があると思います。
 

今まで積み上げてきたものを自ら崩す覚悟を持てるか

 

「あ、ウサギが切り株に激突して自滅…何もしてないのに飯が手に入ってしまったw

 この切り株を見張ってりゃ勝手にウサギが自滅して…もう働く必要なくね!?

 

…という『株を守りて兎を待つ(守株)』の元となった話ほどの露骨さは稀にしても、

物事の有用性はというものは、その前提となる背景に依存するものであり(顰に倣う

その背景は時代や環境の変化、運によって常に変化するものです(焼きなまし法)。

 

かつての正解が今後も正解であり続ける保障などなく

 

背景の変化に応じて柔軟に、答えの選択や在り方も変化させることが重要

…なのですが、これ、決してそう簡単なことではないとも思います。

 

なぜなら、背景が変わり、在り方を変えるということはつまり、場合によっては、

それまで苦労し努力し、築き上げてきた結晶が水の泡と化す可能性があるからです。

特に『焼きなまし法』での例えにおける、既に山の頂に辿り着いていた人は、

そうした在り方の変化、背景たる環境の変化を嫌う傾向があると思います。

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具体的には、社会構造の変革によって立場や既得権益の消失を恐れる権力者、

そして意外と盲点になりやすいのが、その分野のスペシャリスト、つまり専門家です。

 

分野にもよりますが、イノベーション(技術革新)という環境の変化は、

専門家の立場のみならず、築いてきた膨大な知識や技術を、時代遅れの無駄なものに、

後のロストテクノロジーへと変貌させてしまう可能性すらも秘めているからです。

カセットテープやインスタントカメラなど、技術革新で突如消失したケースは多々。

 

 

慣れれば新型の方が便利だと思いつつも、使い慣れた旧型に愛着を感じ固執する。

そんな風に『株を守りて兎を待つ』に陥りやすい、既に頂を極めた事柄というのは、

案外一般人の、小さなこだわりや親しみにも当てはまるのではないでしょうか。

 

権力者や専門家が、新進気鋭の人間が主張する変革を否定したがっていたら、

その裏にはこのような背景もあるのだと想定した方が良い…“かもしれません”

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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例え低い山でも、頂の周囲は下り坂ばかりであり、改悪なくして改革はない

 

専門家を過大評価し、盲信してしまってはいないか