「小人物には、大人物の考えや大きな志などがわからない」(故事ことわざ辞典より)
この言葉、自分と他者のどちらが燕雀(小人物)でどちらが鴻鵠(大人物)なのか、
その捉え方によって意味合いが大きく変わってくると思います。
自分と相手、どちらの観測する世界が正しいかなどわからない
「小さいやつには偉大な私の考えや志など理解できんのだよ」
…などと言ってしまうと、ものっそい不遜で他者を見下した言葉に聞こえますが、
この言葉には二つの捉え方があると思います。
一つは「他者の主張を安易に鵜呑みにして左右されるな」というものです
あまりの革新性故に専門家の理解すら超え、否定されるなどそう珍しくもありません。
遺伝学の『メンデルの法則』で有名なグレゴール・ヨハン・メンデル、
大陸は移動すると『大陸移動説』で提唱したアルフレッド・ウェゲナーなど、
発表後数十年どころか死後数十年経ってからやっと評価されるケースすらあります。
ですから「主張が正しいこと」と「周囲から理解を得られる」ことは別であり、
時には他者の意見に振り回されず、自身の姿勢を貫き通すことも重要だと思います。
もう一つは「他者の考え方に対し謙虚であれ」というものです
人は自分の考えと異なる他者を安易に批判したがる傾向があります(忠言耳に逆らう)
しかし、人生経験の異なる他者の考えを理解するのは困難であり(知行合一)
目先だけならいざ知らず、結果的にどうなるかなど推測困難です(人間万事塞翁が馬)
自分に理解力がないことと、相手の主張がおかしいと感じることは紙一重ですから、
自身の無知を疑い、他者に謙虚である姿勢が重要なのだと思います。
人は皆少なからず、自分だけの思い込みの世界で生きているものです。
ですから他者について語るとき、それは自分の思い込みの世界にのみ存在する
架空の他者について思い込みで語るに等しい側面がある
と、結局「他者の主張の正否はわからない」のだと戒めることが大切だと思います。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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人は同じ世界にいながらにして、異なる思い込みの世界を創り上げ、観測している
誰しもが少なからず、自分の論理が最も正しく見えてしまう世界の住人である