人間万事塞翁が馬 - 目先の幸不幸にとらわれていないか -

伏線には計画的に張るものと“結果的に伏線と化すもの”の二種類があると思います。

人間万事塞翁が馬とは

“正しい選択”ではなく、“既にした選択を生かす”方法を模索する

 

馬が逃げたと思ったら、名馬を連れて帰ってきた(cf. 当時の馬は大変な財産

その馬から落馬して怪我したと思ったら、怪我のお陰で戦乱に巻き込まれずに済んだ。

 

これが『人間万事塞翁が馬』の語源ですが、似た話は結構あるものです。

 

「英語がわからず乗り遅れてしまったら、当初乗る予定だった飛行機が墜落」

「広島へ栄転するはずが独り左遷され、広島を離れた僅か2時間後に原爆が投下」

などなど『事実は小説よりも奇なり』とはよく言ったものです。

 

このように、世界には自分がとても関与・想定できないような(影響の輪,関心の輪

運やご縁といった確率要素で溢れています

 

ですから、目先だけを考えるなら、あくまで一般的に考えるなら、

そりゃ飛行機は乗り遅れずに済む方が、人事は左遷よりも栄転の方が良いでしょう。

 

しかし、目先の利害と長期的な利害は必ずしも合致しないものであり(朝三暮四

目先でなく長期的に見た際、

 

何が本当に正解なのかは、恐らく誰にも分かりません。

 

ですから、将来を想定して「正しい選択をする」という意識も大切だと思いますが、

巡って来た運やご縁に応じて臨機応変に、

既にした「選択を生かす方法を模索する」という意識も、重要なのだと思います。

 

 

将来を予測し、的中させることができれば強いのは言うまでもありません。

しかし、確率論の絡む世界においてそれは非常に困難なことです。

ですから人にできるのは、来るべき将来に“伏線もどき”を張り巡らせ、それを将来、

後付けで、結果的に伏線と化して回収できるように生かすことではないでしょうか。

スティーブ・ジョブズ『未来に向かって点と点を結ぶことはできない。

 過去を振り返ったときにのみ、点と点を結ぶことができる。』

 


 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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ただし、例え困難なことであっても、未来予知をしようとする意識を持つことは大切