計画的偶発性理論 - 計画的な偶然を求めて想定の外の世界へ -

「偶然を計画的に設計し、自分のキャリアを良いものに」(cf.Wikipedia

 

「今回は運が悪かった、巡って来なかった」それは時に事実かもしれませんが、

この台詞を言っていいのは、きちんと相応の行動をした人間だけだと思います。

 

運の巡って来る確率は行動によって変動する

 

なに?運やご縁に恵まれないと成功できない世の中なんてやってられない?

それは無理矢理、運が巡って来るのを待とうとするからだよ

逆に考えるんだ「計画的に偶然を起こしてしまえばいいさ」と考えるんだ

 

…という考え方がいつもの如きジョースター卿の教えネタ

『計画された偶然(Planned Happenstance)』です。

 

つまり、運命論のように

いつ、誰と、どこで、何と出会うかを知った上で必然的に行動するのは困難でも、

いつ、誰と、どこで、何と出会うかはわからくとも、そうした偶然の発生を狙って

計画的に行動することは可能だという考え方です。

 

例えば、外に出て何らかの集まりに参加するなりして、人との接触を図ったところで、

それが自分の望んだご縁に繋がるとは限りません。

しかし、かといって家で独り引きこもり寝ていては、ご縁の可能性など皆無です。

 

ですから、確率論からは逃れられずとも、そこに必然や絶対はなくとも、

 

行動の設計次第で偶然の発生率は変えられるのです。

 

宝くじが当たるか否かは所詮確率論ですが、

買ってもいない宝くじが当選することは万に一つも有り得ないのですから。

だからといって別に宝くじの購入を推奨する訳でもないですが

 

 

人は居心地の良い、自分の専門分野に、自分と同意見の環境に身を置きたがる、

そんな傾向や側面があると思います(類は友を呼ぶ

 

しかし、大抵の場合そういった世界は既にある程度開拓済みであり、

そこで『計画された偶然』が起こる可能性は比較的低いのではないかと思います。

有意義な偶然を求めるなら、それは自分の世界の外にこそあるのではないでしょうか。

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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世界は確率論でできており、運要素からは逃れられない。

 

運が巡ってくるかは偶然でも、巡ってきた運をつかみ取れるかは必然