好機逸すべからず - 運を“つかみ取る”のも実力のうち -

「よい機会は逃してはならないということ」(故事ことわざ辞典より)

 

「今回は運が悪かった、巡って来なかった」それは時に事実かもしれませんが、

この台詞を言っていいのは、十分な努力と準備をした人間だけだと思います。

 

巡り合わせは偶然でも、それをつかみ取れるか否かは必然

 

回転寿司、欲しいネタがすぐに来てくれるとは限らないですよね(注文すれば良いけど

いくら待っても来ないこともあれば、自分より前の席の人に取られることもあります。

 

しかし、どんなネタが欲しいかあやふやなまま、ぼーっとしていると流れ去ってしまい

気付いたときにはもう遅く、再度巡って来る保障などありません(注文すれば良いけど

 

少々変な例えになってしまいましたが、

現実社会における運やご縁も、これと似たような側面があるのではないでしょうか。

 

運やご縁というものは、(巡り来る“確率”を変動させることはできても)

実力さえあれば必ず巡って来るというものではないと思います。

 

いくら努力や才能があっても、機会に恵まれなければ成功は困難でしょう。

しかし、折角の好機が訪れても、それを逃してしまうようでは意味がありません。

こうした好機というのは殆どの場合、過ぎ去ってからではもう遅く

 

実力や準備なくして巡って来た好機をつかみ取るのは困難

 

という点を忘れてはならないと思います。

take the fortune by the forelock(幸運の女神には、前髪しかない)
 

どれだけ準備をして、実力があっても運要素から逃れることはできませんが(麻雀

それは決して、努力や準備を怠っていい理由にはならないと思います。

 

 

「好機を逃してはならない、後悔したときにはもう遅い。」

この言葉の難しいところは、この手の話は詐欺の常套句でもあるという点です。

 「今だけ!もう時間がないから今日中に決断を!こんな話はもう二度とないよ!」

 

ですから、眼前を過ぎ去ろうとする存在が“幸運の女神”なのか“詐欺の悪魔”なのか

それを咄嗟に判断できるだけの準備と眼を養うことも大切なのだと思います。

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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