勇将のもとに弱卒なし - 上司の価値は部下の姿にこそ表れる -

「上に立つ者が優れていればその下につく者も優れている」(故事ことわざ辞典より)

 

もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」とでも言わんばかりの、

家臣を必要としない文字通り一騎当千の武将なんて、恐らく空想のみの存在でしょう。

 

勇将の姿は家臣という名の鏡に映し出される

 

「優秀な部下に恵まれなかった“名将”」なんて話はまず耳にしません。

これはあくまで私見ですが、それは今の時代もあまり変わらず、

優秀とされる人ほど「自分はご縁に恵まれている」と口にする印象があります。

 

ではなぜ『勇将のもとに弱卒なし』なのか、主に3つの理由が考えられるでしょう。

 

まず、身も蓋もない話ですが一応、1つ目は「本当に運が良いから」という理由です

 

例えば「優秀な部下に恵まれること」を名将の必須条件と仮定するとあら不思議、

どんなに優秀な人間でも部下に恵まれなければ名将と“認知されず”、

「名将と認知された人は皆優秀な部下に恵まれている」という事態が発生します。

 

しかし運が全てという訳でもなく、2つ目は「人を生かすのが上手い」という理由です

 

そもそも「優秀な部下」というのは本質的ではありません(魚は殿様に焼かせよ

部下には差異や特徴こそ存在しますが、それが優劣どちらに転ぶかは目的と背景次第。

つまり「部下が優秀」なのは「部下の活用術が優れている証」とも言えるでしょう。

 

そして3つ目は「真に優秀であれば、周囲の人間も自然と優秀になる」という理由です

 

優秀な人間には自然と、波長の似通った優秀な人間が集うものです(類は友を呼ぶ

また、将が将として真に優秀なら、その姿は部下という名の鏡に映り(人こそ人の鏡

将の姿を真似て部下も自然と優秀になるものだと思います(朱に交われば赤くなる

 

 

上に立つ人間であれば、部下に振り回されることもあるでしょう。しかし、

 

部下の不出来を嘆いたところで事態はなんら改善されず

 

むしろ部下への不信は不和を生み、余計に悪化して負の連鎖に陥りかねません

『勇将のもとに弱卒なし』と自身の不出来を省みる方がよっぽど建設的なのでしょう。
 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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