類は友を呼ぶ - 自己の肯定は安心を、否定は成長を与える -

「気の合う者や似通った者同士は、自然に寄り集まる」(故事ことわざ辞典より)

 

似た者同士は集まる。そういった側面は確かにあると思います。

しかしそれ以上に、似ていない者同士は居心地が悪いという側面も強いのでしょう。

 

自分と似た存在は「今の自分の在り方」への安心を与えてくれる

 

人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる

 

というのは某奇妙な漫画に登場する吸血鬼の台詞です。

果たして本当にそうなのかという議論はさておき、確かに人には

今のままの自分でいいんだ」という“安心”を他者に求める側面があると思います。

 

その意味においては多くの場合、考えの異なる人は“安心”とは逆の存在でしょう。

 

「自分はこのままではいけない」

「自分の考えは決して一般的な、万人に通じるものではない」

「自分の信じていたものが揺らいでしまう」

 

考えの異なる人といれば、必然的にこうした“不安”に掻き立てられます。

ですから人は安心を求め、自然と気の合う似通った者同士が集まるのだと思います。

 

互いが互いを肯定し合い「むしろ周囲の人間がわかってない」と他者否定する

というのは確かに、精神衛生上はいいかもしれません。

しかし、時には自身の成長阻害要素ともなりえるでしょう。

 

人は今の自分を否定できるから、新たな自分へ成長できる

 

という側面もあるのだと思います。

勿論、安心を求めて肯定し合い、切磋琢磨することで得られる成長もあるでしょう。

しかし、狭い自分の世界に閉じこもっていては、大きな革新は難しいと思います。

 

 

人は合わせ鏡のように互いを映し合い、だんだん似通ってくる(魚心あれば水心

という側面もありますが、いずれにせよ他者は自身を知る上で重要な情報でしょう。

 

自分の周囲に自然と集まってくる人を見れば、今の自分を知ることができます。

自分が変われば付き合う人も自然と変わり、その逆もまた然りなのだと思います。

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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