人は人を変えはしない。当人が他者からの刺激を踏まえ、自分の意志で変わるだけ。
- 犬にエサを与えるときに必ずベルを鳴らすようにしたところ、エサが無くてもベルを鳴らすと犬がよだれをたらすようになるというもの。 パブロフ博士が1902年に発見。条件反射の喩えとして用いられる。パブロフが行なった実験 犬の頬に管を通し、唾液の分泌量を.. 続きを読む
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思考と反射、人には両方の側面がある
まず、誤解がないように申し上げますが、人間にも条件反射はあります。
この点においては人も例外ではなく、パブロフの犬となんら変わりません。
ただし「エサとは本来無関係なはずのベルの音だけでよだれをたらす」という現象の
「外部刺激によって行動を支配される」という側面から『パブロフの犬』を捉えるなら
人は必ずしもこの限りではないと思います(本来の意味とは少々ずれますが
例えば人は少なからず他者を、社会を、その環境を映し出す鏡のような側面があるため
人が集まる所には合わせ鏡のような連鎖現象が発生したり(魚心あれば水心)
相手の鏡に映る自分の姿が変われば相手も変わることもある(朱に交われば赤くなる)
…というのは決して嘘ではないのですが、実際はそんな単純じゃないですよね。
敵意が飛び交う人の輪の中でもやろうと思えば好意を返すことも、
それこそ「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」なんてことも可能でしょう。
また、自分が変わったからといって、相手も変わってくれる保障などありません。
パブロフの犬は「外部刺激が行動に直結する」というのなら、
人は「外部刺激と行動の間に思考を挟み、行動を選択する」ことも“可能”です。
つまり、人の鏡のような側面により「自然とこうなりやすい」という傾向こそあれど、
あくまで傾向は傾向であり、そこに絶対はないのだと思います。
今回は『パブロフの犬』と銘打っておきながら、本来の意味とは少々ズレてまして、
条件反射というより「他者から行動を支配される」ことの象徴として言及しました。
勿論、条件反射同様、人間にもそのような側面や傾向はあるのですが、
最終的に行動や在り方を決めるのは自分自身(相手自身)
であり、それが“可能”であり、その在り方や行動は本当に自分が選んだものなのか、
他者を都合良く制御できる前提で考えていないか、 自戒することが重要だと思います。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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