人こそ人の鏡 - 眼前の相手をそうあらしめたのは誰か -

「他人の言動は鏡に自分をうつす鏡のようなもの」(故事ことわざ辞典より)

 

「人と人は合わせ鏡」や「子は親を写す鏡」など、人はしばしば鏡に例えられます。

ならば、他人を嘲笑することは、鏡に映る自分を嘲笑することなのでしょう。

 

他者批判は、鏡に映る自分の姿を批判するが如し

 

人間は誰しも少なからず繋がっており、他者は少なからず自分の姿を映します。

これは短期的な側面は勿論なのですが、

 

人は人の姿を見て育ち、その人の見る世界を体現する

 

とでも言うべき、長期的な側面もあります。

 

例えば「子は親を映す鏡」という考え方。

確かに昨今の若者(ゆとり世代)は活力に欠け、批判に値する側面もあるでしょう。

 

しかし、その若者を育てたのはその親の世代であり、

その若者の在り方は少なからず(大人の作った)昨今の世相を映し出した鏡です。

それを他人事のように親世代が批判するなど、恥知らずと言われても仕方ありません。

無論、これは「だから私は悪くない」と若者が開き直っていい理由にはなりません。

 

これは同世代の、例えば男女関係についても然りです。

 

「草食系」という言葉が流行り、昨今の男性は男性らしさに欠けるかもしれませんが、

男性が魅力的でないのは恋愛対象である女性が魅力的でないからでしょう。

「女子力」という言葉が流行り、昨今の女性は女性らしさに欠けるかもしれませんが、

女性が魅力的でないのは恋愛対象である男性が魅力的でないからでしょう。

 

それを一方が自らを棚に上げ、他方を一方的に批判するなど、それこそ厚顔無恥です。

 

 

念のため申し上げますが、決して他者を批判してはならないという訳ではありません。

批判し合う精神は健全な関係性を築く上で欠かせない、重要な要素だと思います。

 

しかしその際は、他者という鏡に自分の姿が映っていることを忘れてはならず、

他者批判はなんら自らの正当性を保障しないのだと戒めるべきでしょう(猿の尻笑い

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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